3.
いつもの習慣で早朝に目覚めた清四郎は、悠理の手が浴衣から離れていることにほっとして床を離れた。 可憐や野梨子が先に目覚めていたら大騒ぎだろうが、幸いというか当然というか、誰も起きてはいなかった。 変に緊張している体をほぐす為、朝風呂へと出かける。
湯船に浸かり目を閉じると昨夜の悠理の姿が瞼に浮かんだ。 吐息がかかるほどの距離で眠る悠理。 何かに憑かれているせいだと分かっていても、自分に縋り、胸に顔を埋めるようにして眠る悠理を、守るべき存在のように感じた。 悠理が男に守られるような女ではないことなど百も承知なのだが・・・。 宥めるために悠理の肩に置いた手を、無意識に背中に回しそうになり、そんな自分に戸惑った。 いつだったか可憐に「悠理のことをペットかオモチャのように扱っている」と言われたことを思い出す。 あの時はそう言われて、確かにそうだと思う自分がいたが、今はどうだろう・・・?
清四郎が部屋に戻ると、悠理以外の面子はみんな起きていた。 「へえ、夜中にそんなことがあったの。」 まだ寝ている悠理の横で可憐と野梨子が、夜中の出来事を魅録から聞いていた。 美童が意味ありげな視線を送っていたが気付かない振りをする。
「ん〜・・・・・おっはよー。 ふぁー、お腹すいたー。」 大きく伸びをしながら悠理が目を覚ました。 みんなの視線が集中する。 今まで、霊に憑かれた時は大概において顔色が悪くなり食欲が落ち、「だりぃ」「疲れた」を連発していた悠理。 だが、今回は顔色も悪くないし、食欲もあるようだ。 「ん?どうかした?」 みんなが自分を見ているのに気付き、悠理は思わず口の周りを拭った。
「悠理、・・・体、だるくない?」 可憐が悠理の様子を観察しながら問う。 「え?・・・体?全然! 温泉入って疲れも取れたし、ぐっすり眠って絶好調だじょ。」 「そう、・・ねえ・・昨日の夜食のこと、憶えてる?」 「夜食? ・・・そういえば頼んでたよね。あー、食べそびれちゃったなあ。 なんであたい寝ちゃったんだろう?起こしてくれれば良かったのに。 何が出たの?」 「出たのはお稲荷さんだったんだけど、本当に憶えてないの?」 「うん・・・?あたい、起きたの?」 悠理は本当に憶えてないらしい。 「ま、いいわ。それより朝ご飯は大広間だから仕度、急ぎなさい。」 きょとんとしながら悠理は仕度を始めた。
「なんだか、もう大丈夫みたいじゃない?」 可憐の問いかけに皆が頷く。 「そうですね、朝になって離れたのかもしれませんね。」 みんなは事実を知ったら恐がるであろう悠理には、言わずにおくことにした。
日曜日は梅雨には珍しく快晴。 ホテルを出ると強烈な紫外線が降り注いだ。 魅録が車をホテルのエントランスまで回してくれる。 「あーあ、今日だったら夕焼けがきれいに見えただろうなあ・・・。残念!」 手で顔に陰を作りながら美童が空を見上げる。 「本当に今日は梅雨晴れですね。」 「え?清四郎、『梅雨晴れ』って梅雨が終わったときに使う言葉じゃないの?」 「そういう時にも使いますが、梅雨の期間中の晴れ間のことを指すこともあるんですよ。 梅雨が終った時は『梅雨明け』が一般的ですよね。」 みんなの荷物を車に積みながら清四郎が答える。 美童もそれを手伝う。 「そっか。日本語っていろんな言い方があって、情緒があるのはいいけど、本当、難しいよ。」 古典の苦手な美童はそう言いながら後部ドアをバタンと閉め、車に乗り込んだ。
午前中は遊覧船に乗ったり、野梨子と清四郎希望の美術館に行ったりした。 お昼に美童お目当ての温泉に到着する。 中伊豆にあるそのホテルは、大きな滝に面した露天風呂を始め、色々なしかけ風呂があり、エステやマッサージも備えていた。 部屋を借りて、のんびり食事と温泉を楽しもうというプランだ。
通された部屋の窓一面に渓谷の緑が広がっていた。 昼食は地元の素材をふんだんに使った松花堂弁当。もちろん、悠理のために追加料理も頼んだ。
お昼ご飯を食べ終え、食休みをしながら温泉の案内図を見る。 「ここの温泉、露天風呂がたくさんあるんだけど、水着着用よ。 忘れないでね。」 可憐が皆に注意する。 「わー、ここ、露天風呂が30個もある〜。 よおーっし、全部制覇するぞ!」 悠理はガッツポーズを作って意気込んでいる。 「ふーん、なんか水着で風呂ってしっくりこねえなあ。」 「ヨーロッパの方では温泉に水着で入るのは珍しくないよ。」 「欧米では大浴場の習慣はあまりありませんしね。 温泉は医療施設と解釈されていることが多いようで、日本の湯治場のように滞在してリハビリするんですよ。」 魅録はそんなもんかという顔をしている。 「ま、ここは露天風呂のそばに、ハイキングコースがあるらしいからしょうがないわよ。 私と野梨子は先にエステに行ってるわ。 いくら肌に良いと言ってもずっと温泉に入ってたらふやけちゃうもの。 じゃあ、あとでね。」 可憐と野梨子が先に出て行った。
館内の大浴場で着替え、屋外に出る。 目にも鮮やかな新緑の中、滝の水の落ちる音や川のせせらぎ、鳥の鳴き声などが聞こえてくる。 高低差が30mある滝は梅雨時ということもあり、水量もたっぷりで、豪快な水しぶきが上がっていた。
そんな自然に抱かれるような渓谷に露天風呂が点在している。 7種類ある五右衛門風呂、打たせ湯、子宝の湯、足湯、薬草湯、浅い浴槽で寝っころがりながら入れる温泉、丸い石が敷き詰めてあり足裏をマッサージしながら入れる温泉、そして滝を色々な角度から楽しめる多数の岩風呂。 それら一つ一つに入りながら楽しむ悠理。 美童は腰に良さそうな温泉につかりっぱなしだったので、魅録と清四郎が悠理に付き合った。
岩壁に洞窟のような穴が開いていて、『穴風呂』と書かれた看板があった。このホテルの名物らしい。 悠理はなんだか蛇様の洞窟を思い起こし、一瞬躊躇したが、覗いてみると中はランプの明りが灯っていて、思いのほか明るい。 男女別になっている入口をくぐり中を進んで行くと、段々深くなり、最終的には悠理の胸の下くらいの深さがあった。 洞窟の中は熱気がこもり、サウナのようだ。 10メートルほど進むと教室ほどの広さがある空間に出た。 悠理は周りをキョロリと見まわした。 誰もいないと知るとにんまりし、ザバリと泳ぎ始めた。
いい気持ちで泳いでいると・・・ ドン! 「あ、ごめんなさい。」 人にぶつかった感触に思わず悠理は謝った。 人が来ないかどうか、入口の方を気にしながら泳いでいたのだが気付かなかった。 「何やってんですか。こんなとこで泳いでたら、のぼせますよ。」 清四郎が悠理の肩をささえるように抱いていた。 「な、せ、清四郎? ここ、女湯だぞ。」 悠理の素っ頓狂な声に、清四郎は呆れ顔で答える。 「案内図、見てなかったんですか? この穴風呂、中は繋がってるんですよ。」 「へ、そうだったの。」 水着を着ているとはいえ、“お風呂”での至近距離。 間近で見つめられ、悠理は顔が熱くなった。
「顔が真っ赤ですよ。 ほら、外に出て新鮮な空気を吸いなさい。」 「ん。」 悠理は外へと向かった。 (「今日はなんか清四郎との距離が近いよな・・・。」) 何かあった時のために、悠理のそばには魅録か清四郎がいることになっていたのだが、魅録がそばにいるのはいつものことだったので、清四郎が近くにいるという不自然さが際立ってしまった。 ドキドキする胸を抑えながら出口を目指した。
穴風呂から出た悠理は外の新鮮な空気を思いきり吸いこんだ。そうすることで、自分の中の熱を冷まそうとするかのように。 深呼吸を繰り返す悠理の頬に水滴が当たる。 「あれ、・・・雨?」 太陽の光が当たる中、手を差し出し空を振り仰ぐ。
悠理の視界がぐらりと揺れた。
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