湾岸21時 act.1

                 BY いちご様

 

さざめく会場、時折感じる潮の香り、しかしそれに混じる油の匂いが、ここが東京湾なのだと教えてくれる。
今日は剣菱自動車の創立50周年祝いと新車発表会を兼ねた船上パーティ。
あたいはグラスを傾けながら愛想笑いを振りまく。
つまらない話に相槌をうちながら、視線はある男を追っていた。
その男の名は菊正宗清四郎、現在あたいの恋人のはず。
黒のタキシードに身を包み、重役達と談笑している。
ああいう所は昔から変わらない。外面の良さは、ね。

清四郎とは大学を卒業する頃から付き合いだした。
大学2年の頃から美童と野梨子が、3年の頃から魅録と可憐が付き合い始めて、独り者どうし、清四郎と一緒にいる時間が増えた。

清四郎と一緒にいることを自然だと感じ始めた時、あたいから清四郎にキスをした。
あたいのそばには清四郎しかいなかったし、ずっと一緒にいたいと思ったから。
清四郎はかなり驚いたようだが、あたいのキスに応えてくれた。

それから付き合いだして1年とちょっと。
といっても今までの倶楽部の付き合いに毛の生えたようなもの。
なんというか清四郎はいつも冷静で、
こいつには我を忘れるなんて事はないんだろうな、と思う。

清四郎はいつも忙しい。それはずっと昔からのことだったけど。
大学時代から兄ちゃんの手伝いをしてはいたが、大学を卒業して剣菱に入ってから、幹部候補生としてますます忙しい毎日を送っている。
今は剣菱商事に籍を置き、海外出張なんかもざらにあって、2〜3週間会えない事も珍しくない。

もともと先に好きになったのはあたい。
清四郎はそれを受け入れてくれただけ。
いつもあたいばっかりあいつの事を想ってるみたい。
電話だってメールだって、いつもあたいから、あいつからくるのは返事だけ。いつだったか、
『清四郎は真剣に女に惚れるなんて出来そうもない』
と言った可憐の言葉が、あたいの心の奥底で渦をまく。

もしかしたら、あたいが剣菱の娘だから?、それとも、
断って波風たてるのが面倒だったから?なんて時々思ってしまう。
今日だって2週間ぶりに会えたというのにまだ会話も無い。
まあ、あたいと付き合ってると大っぴらになると色々と煩わしいことがあるらしい。母ちゃん達は知ってるけど、今回は静かに見守ってくれている。

「悠理!」
振り返ると巻き毛をきれいにカールさせた可憐がこちらに手を振って近づいてきた。
「可憐、久しぶり。元気?」
「ホント、久しぶりねえ。私は元気よ、仕事が忙しくって休んでる暇も無いわ。」
今日もしゃれたデザインのダイヤのネックレスをしている。

可憐は卒業後、ジュエリーアキで母親の仕事を手伝っている。
派手好きな可憐がダイヤを際立たせるため黒のシックなドレスに身を包んでいる。
パーティへの出席も宣伝と顧客拡大のためだ。
「あれ、今日は魅録は?」
いつも可憐をエスコートしている魅録を探す。
「魅録ならあそこ。なんだか専門的な話に首突っ込んでるわ。」
魅録は卒業後警察庁に入り、研修期間も終え今は刑事として警視庁に勤務している。
ピンクだった頭も今は薄茶色。これが地毛なのかは解らないが、
いくらなんでもピンクの髪では刑事として目立ちすぎるからやめたらしい。 メカ好きな魅録は、新車の技術開発者の話を興味深く聞いているようだ。

「あんたも随分女らしい格好するようになったわね。」
と可憐が嬉しそうに言う。
「ん、もらいもんだから。」
いつもはパンツスーツだけど、今日はブルーのマーメイドラインのドレスを着ている。
本当はこんな格好好きじゃない。
あたいは今は家の仕事を手伝っている。
と言えば聞こえはいいかもしれないが、海外旅行で不在がちの母ちゃんの代わりにイベントやパーティに出席するくらい。

変わったのは、時と場合に合わせて一応ちゃんとした格好をする(させられる)ようになったことと、言葉遣いが少しはましになった事ぐらい。
あたいだけが昔と変わらない。
「よお、悠理。相変わらずすごい食欲だな。」
お皿にこんもりと料理を乗せていると、あたいの後ろから魅録が声をかけてきた。
「よほ、ひさしふり・・・。」
「お前、食ってからしゃべれよ。」
「あら、魅録。話は終ったの?」
「おう、やっぱこの車はすげーな。省エネなのに、スピードもかなりのもんだ。パトカーとして使いたいぐらいだぜ。」
魅録だって相変わらずじゃん。メカの話になると子どものような顔をする。
それを横で微笑ましそうに見ている可憐をまぶしく感じた。

3人でいるところへ、清四郎がやってきた。
「よお、清四郎、久しぶりだな。相変わらず忙しそうだな。」
「魅録こそ、今日は事件は無かったのですか?」
「ああ、ちょうど一段落だ。それに、この車の発表会と聞いちゃな。」
今日の清四郎は変だ。あたいを避けてるのか、こっちを見ようともしない。 なんだか不貞腐れた気分になった。

男達が近況報告をしている後ろで可憐があたいに耳打ちをする。
「あんたたち最近どうなの?もう結婚の話とか出てるの?」
あたいは口をつけていたシャンパンをぶっと吹き出した。
「そんな話出たこともないよ。今日だって会うの2週間ぶりくらいだし。あいつは仕事の虫だからさ。」
「そう、なんだか淋しそうに見えたのは、その青いドレスのせいだけじゃなかったのね。」
「なーに言ってんだよ、あたいは元気だよ。
 それより可憐たちこそそんな話が出てるんじゃないの?」
「ううん、私は今支店を出すのに忙しいし、魅録もまだまだ半人前ってとこだしね。」
「そっか、じゃあ、まだまだ遊べるんだな。今度また旅行でも行こうぜ。」
そう言って笑いあった。

 

*****

 

パーティの熱気を冷ますために、あたい達はデッキに出て風に当たっていた。可憐との話がはずんで、ちょっと飲みすぎたかも。

「悠理さん、先日はどうも。」
振り返ると、長身のスポーツマンタイプの男が話しかけてきた。
剣菱自動車のやり手の営業マンで、若いながらも業績が認められ、最年少で部長に昇格したという。
以前、成績優秀者の表彰式に借り出された時に初めて会ってから、機会ある毎に話しかけられ、外でも何度か会っていた。
万人受けしそうな笑顔を振り撒きながら悠理に話しかける。
可憐と二人でいると思ったらしく、後ろの清四郎達には気付かないようだ。

「ああ、霧島さん、この間はありがとうございました。」
「こちらこそ楽しかったですよ。またチケットが手に入ったら声をかけますよ。
 ところで、こちらの美しいお嬢さんは悠理さんのお友達ですか?」
「ええ、友人の黄桜可憐さん。銀座のジュエリーアキの後継者なんですよ。 可憐、こちら霧島さん、剣菱自動車の営業マン。」
「初めまして、霧島と申します。  ジュエリーアキ・・?
ああ、知ってますよ。オリジナルブランドが評判のところですね。」
「初めまして、黄桜可憐と申します。ご存知とは嬉しいですわ。
私もデザインを担当しているんですよ。まだまだ修行中ですけど。
 宝石をご入用の際は、ぜひ当店で。」
と、さっそく営業を開始する可憐を後ろで男二人が苦笑している。
「じゃあ、せっかくだから、今度このドレスに似合うアクセサリーを
悠理さんにプレゼントしますよ。 今日のパーティにそのドレス着てきてくれて嬉しいです。やっぱりお似合いです。 」
全身を眺めるよう、少し身を引いて話し続ける。
「このドレス、海をイメージして選んだんです。
 でも悠理さんには東京湾よりも、南の島のビーチの方がきっと似合いますね。今度ぜひ一緒に行きましょう。」
そう言ったところで、霧島は人に呼ばれ、じゃあまた、とパーティに戻っていった。

「ちょ、ちょっとどういうことよ。今の人と何かあったの?
 このドレス、今の人からの贈り物なの?」
「うん、こないだ買い物してた時に偶然会ってプレゼントさせてくれって、このドレスの代金払っちゃったんだよ。
 そんでその後、ロックのコンサートに誘われてさ。」
「清四郎が怒るわよ。」
解ってるけど、母ちゃんに社内の人間を邪険にするなって言われてるんだもん。
「だって、しょうがないじゃん、なんだか断れなくって。
 それにそのロックのコンサートだってめったに手に入らないチケットだったし・・・。」

ちらりと後ろを振り返ると、今の会話を聞いていたであろう魅禄は
困った顔をしていたが、清四郎はうっすらと微笑を浮かべている。
(「えっ・・。」)
悠理は困惑した。てっきり怒ると思っていたのに・・・。
笑ってる?
「今の男は、剣菱自動車の営業部長でしたね。確か最年少で昇格したと聞きました。
 社内でもなかなか評判がいい男ですよ。
 そう、彼なら、悠理が退屈するようなことは無いでしょう。」
霧島さんの事、知ってたんだ。まあ、そりゃ同じ系列の会社内のことだもんね。
でも、なんであたいが退屈しないって?
「えっ、何、清四郎。どういう意味?」
清四郎の言わんとする事が解らない。

清四郎が小さく溜息をつく。
「潮時だっていうことでしょう?僕達は・・・。」

清四郎が言った言葉を、あたいの耳は拒否しているようだった。
今まで聞こえなかった潮騒の音が、今はやけに大きく聞こえる。
潮時って、いくらあたいがバカでも意味は解る。
僕達って、あたいと清四郎のことだよね。

体が凍りついたように動けなくなった。
手の先から徐々に血の気が引いていく。
手を置いていた手すりよりも、冷えていくあたいの手・・・。

他の男と話したり、出かけたりすればやきもちを焼いてくれるかと思っていたのに、あたいにはやきもちを焼くほどの想いは無かったってこと?
清四郎はあたいと別れたいと思っていたの?
信じられない、信じたくない。 
『冗談ですよ。』って言ってよ。

何も言えないあたいに微笑むと、
「今まで、ありがとう。」
そう言って清四郎は離れていった。

「お、おい、清四郎、どこ行くんだよ。」
突然別れの場面に遭遇した魅録が慌てて清四郎を追う。
「アメリカでトラブルが発生して、これからヘリで成田に向います。
 もう迎えのモーターボートが着いている頃なので、お先に失礼しますよ。」

魅録が清四郎の肩を掴み引き止める。
「さっきの、冗談なんだろ。別れるなんて。」
「彼女の好きなようにしたらいいと思ってます。いい人も現われたようですし。  僕では悠理を満足させられないですからね。」 
魅録の手を振り払うように、歩き出す清四郎。
 
「ちょっと、悠理、清四郎行っちゃうわよ。
あんな人のこと何とも思ってないんでしょ。いいの?このままで。」
可憐が何か騒いでいるけどあたいの耳には入ってこなかった。
立っているだけで精一杯。
理解できたのは、清四郎を失ってしまったという事実だけ。
いや、もともと清四郎はあたいのものではなかったのだ。
遠くに見える街の光がにじんで見える。

「悠理!!」
焦点が合わないほど可憐が顔を近づけて怒鳴る。
「泣くほど好きなら追いかけて気持ちをちゃんと伝えなきゃ。
 あの朴念仁には伝わらないわよ!」

その言葉に背中を押されるように、あたいは走り出した。
ああ、なんで今日こんなヒールを履いているんだろう。
清四郎の姿を探すが見当たらない。魅録を見つけて聞く。
「魅録!清四郎は?」
「ああ、なんかトラブルがあったとかでこれからアメリカだとよ。
 モーターボートが迎えにきてるって、行っちまったよ。」
デッキから身を乗り出すが見当たらない。こっちじゃない。
反対側まで走って下を見下ろすと・・・、いた、ちょうどボートに乗り込むところだ。
「清四郎!」
あたいは思いきり身を乗り出して声を限りに叫んだ。

と、履き慣れないヒールのせいでバランスを崩した。
清四郎が振り返った気配を感じながら、あたいは真っ黒な海へと落ちていった。

「キャーーー。」
「悠理!!」
落ちていくあたいの耳に入ってきた可憐と魅録の声。
ああ、こんな時になんてドジ。清四郎を引き留めたいのに。
大丈夫、あたいは泳ぎが得意なんだから。
落ちた勢いで深く沈んでしまったがすぐに海面を目指す。
が、ドレスが足にまとわりついて泳げない。
手を必死に掻いても、思うように進まない。まるで何かに足を引っ張られているみたい。
腕が重い・・・。息が苦しい・・・。
「(清四郎・・・)」




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