僕の両手に残るもの

       BY こたん様

 

1

 

 

もとはと言えば、それは僕の仕事ではなかった。僕は大学在学中から剣菱に入って万作おじさんや豊作さんと共に働いていたし、まさか自分が広告代理店の営業マンをやるとは思わなかった。

僕の高校時代からの仲間達は、もちろん言葉を失うほど驚いていた。彼らはそれぞれ親の仕事を継いでいる。悠理でさえ剣菱の後継者として百合子おばさんと共に働いている。

 

でもそれにはちゃんとした理由があった。

理由・・・それは僕の友人の死だ。

 

彼と僕は中学時代からの友人で、ある同好会の仲間だった。彼は成績優秀で大人しい男だった。余り友人を持たない彼だったが、僕には心を開いていた。同好会以外でも大学在学中は時々会って食事をしたり酒を飲んだりしていた。だから彼が広告代理店の営業マンをやると聞いた時は耳を疑った。あれだけ大人しく、友人も持てない彼が営業マン。しかも広告代理店である。

よく聞けばその代理店は剣菱グループの数ある子会社の中の一つで、会社も小さかったが、一応剣菱の広報部の一部としても機能していた。

 

偶然彼と再会したのは剣菱本社のロビーだった。彼は本社広報部に何かの書類を届けに来ていた。

「時々会議にも出席させて頂いてます」

「その割りに会いませんでしたね」

彼は屈託無く笑った。

今でも同好会に出席していると言う。

「この間、面白い資料が手に入りましてね」

それは僕の興味をそそる内容であり、早くその資料に目を通したくなった。

「今晩時間取れますか?」

「菊正宗君の頼みなら断れませんね。仕事が終わったら家によって取って参りましょう」

 

そうするべきでは無かった。

僕は後日時間を取って彼の会社に資料を取りに行くか、宅急便等、何らかの方法で届けてもらえば良かったのだ。

 

「実は来月から地方に新設されるセンターのセンター長として転任するんです。センターは今建設中なので、ビルの一室を借りて準備室を設けました」

「大出世ですね」

彼は照れくさそうに笑った。

「だから今晩是非会いましょう。伝えたいこともあるんです。後で連絡しますよ」

そうして僕に片手をあげてにこやかに去って行った。

それが僕が見た彼の最後の姿だった。

 

それは一瞬の出来事で、彼は自分が死んだ事すら理解していないかも知れない。

 

僕との待ち合わせの場所に向かう途中、彼の車は交差点で大破した。対向車線で右折する大型トラックの陰から猛スピードで直進する乗用車と正面衝突したのだ。彼は安全を確認したつもりで右折しようとしていた。

 

僕はある意味、間接的に殺人を犯してしまったのだ・・・

 

 

彼の葬儀に参列した時、彼には身重の婚約者がいる事を知った。

美しい、彼に似た大人しそうな女性で、透き通るような白い顔が印象的だった。葬儀会場の一番後ろの隅の席で俯き、涙を流していた。それは会場の外で、静かに降る四月の雨によく似た感じだった。

僕はその時、彼女に何の言葉すら掛けられなかった。

後日彼女の家に謝罪に訪ねたが、今は面会できる状態では無いと家族に断られた。

彼女が流産したのは、その訪問から数日してからだった。

 

あの時、僕が友人に無理を言わなかったら・・・僕は罪に苛まれた。

 

 

2

 

 

剣菱邸で高校時代から設けられている僕の部屋で荷物をまとめていると、ドアをノックする音がした。その音は拳で行われる音ではなく、明らかに靴でドアを蹴る音だった。

「はい」

「あたしだよ。珈琲作って来てやった」

ドアを開けると綺麗な白い歯を見せて笑う悠理が珈琲ポットとカップを載せたトレーを持って立っていた。ズカズカと部屋に入ると机の上にそれを置き、くるりと僕を振り返った。

「父ちゃんと豊作兄ちゃんから聞いたよ。何だよ、それ。そんな事有り得るのか?」

彼女らしく唐突に質問してきた。

「ええ、無理を言っているのは充分承知です。でも、せめてもの償いです」

「お前は悪くない。偶然だよ」

「分ってます。でも彼のセンターが軌道に乗るまで、僕が責任を持って彼の代わりに動こうと思っています。今代理店では人事異動を行っているようです。僕ともう一人の社員で取り敢えずは地盤を固めて・・・」

「話を聞くまでは正直、左遷かと思ったよ」

彼女が僕の話の途中で割って入ってくる。

「お前が何かヘマをしてさ・・・・」

悠理はヘラヘラと冗談を言い始めた。僕は随分と疲れていたし、正直苛立ちを抑え切れなかった。

「あなたの冗談は聞きたくもない!すまないが独りにしてくれないか」

彼女は僕の強い口調に驚き、目を見開いた。一瞬口がポカンと開いていた。

その幼い表情がいっそう僕を苛立たせた。

「今日中に荷造りしてしまいたいんです」

彼女はみるみるうちに顔が紅潮し

「ごめん・・・ごめんなさい。悪気はなかったんだ」

俯き、それだけ言うと踵を返した。

「・・・悠理」

ドアノブに手を掛ける彼女を何故か呼び止める。

「すみません、声を荒らげて。珈琲を入れて下さいませんか?あなたが作ってきてくれたのでしょう?一休みしようと思っていたんです」

彼女は悲しそうに微笑するとすると、うん、と言って机の前に歩み寄った。

僕はベッドに腰掛け項垂れた。目の前のテーブルの上の珈琲に手を付けずにいる。

悠理は僕の横に静かに座った。

「詳しくはよく分んないけど、清四郎のせいじゃないよ。偶然だったんだ。上手く言えないけど、清四郎のそんな姿見たくない」

彼女は僕に珈琲を差し出した。僕はそれを受け取り、ゆっくりと口内にその黒い液体を流し込んだ。

「おいしい、ですよ」

味もしない珈琲に感想を述べた。悠理はカップを取り、テーブルに置くと僕の肩を抱き、僕がいつもそうするように頭を撫でた。

「清四郎、元気出してよ。こんなの清四郎じゃないよ」

そう言うと頭を抱き、髪の毛に口付けし頬を寄せた。

「元気出してよ。嫌だよ、こんなの・・・」

「ゆ、悠理・・・」

彼女は僕のこめかみや耳、首筋に愛撫をしてきた。

それは彼女なりの慰め方だったのかもしれない。

 

でも気付くと僕達はシングルベッドの中にいて、僕は貪るように彼女を抱いていた。

 

カーテンの僅かな隙間から朝日が差し込んでいる。僕はぼんやりと目を覚ますと、その日差しに舞う無数の塵を眺めていた。身体のあちこちが痛かった。無理な姿勢で眠っていたからだ。僕はゆっくり身体を動かした時、ブランケットの中から性交の匂いが漂った。僕の思考は一瞬停止したが、次の瞬間には昨夜の出来事が思い出された。

悠理の切なげな顔、細い肩、小さいが形のよい胸、えぐられた下腹部・・・

次々と思い出される。勢いよく起きると、隣には彼女はいなかった。だが白いシーツの上に、彼女が処女を喪失した後が残っていた。

僕はまた一つ罪を犯したのだ。

 

シャワーを浴び、身支度を整えると悠理の部屋を訪ねた。しかし彼女はすでに百合子おばさんと外出した後だった。僕は学生時代から見慣れた彼女の部屋に入り、その匂いを吸い込んだ。それから机の上のノートを適当に広げると、昨夜の事の謝罪を書き、引越し先の住所と電話番号、新しく与えられたパソコンのメールアドレスを記入した。僕はそのパソコンで剣菱のコンピューターと繋ぎ、仕事を続けるのだ。

『後日勤務先の住所と電話番号をメールします』

『悠理、いつでも僕の所に来て欲しい。僕も仕事の合間を縫ってあなたに会いに来ますから』

 

僕はもう一度彼女の部屋の匂いを身体一杯に吸い込み、部屋を後にした。

 

 

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