「loss of memory(4)」



 

火曜日。
あの後、もう一度、脳波の検査や精神科医の問診を受けた悠理だがやはり、清四郎のことだけが綺麗さっぱりと記憶から抜け落ちている以外、何の異常も見つけられなかった。
ただ、事故に遭ったときに一緒にいたのが清四郎という事に何か原因があるのかもしれないがということだった。もちろんすぐに事故現場にも行ってみたがやはり何も思い出せないという。

昨日とは違い、今日は清四郎が学校を休み、悠理が出てきていた。
「悠理、お前もう良いのか?」
「あぁ、別に身体は何とも無いぞ。ただまだなんだか気分がすっきりしないんだけどさ」
「そりゃそうよね。清四郎のこと忘れてんだもん」
テーブルに肘をつき、ちろりと視線だけをよこす。
「可憐、悠理だって忘れようと思って忘れたわけじゃないんですのよ」
そう言う野梨子の顔も幾分悠理に対して冷たい感じに見えた。
「なぁ、アイツ今どうしてんだ?」
悠理とて、清四郎のことを気にしていないわけではなかった。
聞けば、清四郎とは幼馴染で、一時は婚約までした仲らしい。
しかも事故に遭ったときに自分をかばう様にしていてくれていたという。
「清四郎なら、今日は休んでるよ。さすがのアイツも昨日のお前の態度にはショックだったみたいだしね」
「そんな事言ったって・・・」
「なぁ、悠理。お前ホントに覚えてないのか?」
昨日から何度も繰り返される言葉。
「しつこいなぁ、何度も言ってんだろ。あたい事故の事は何も覚えてないし、清四郎ってヤツの事も全然わからないんだ」
頭を抱える悠理に、やや冷めた感のあった四人も同情せずにはいられなかった。
「―――そんなに、考え込まないで下さい」
突然声のした方に顔を向けると、普段着のままの清四郎が部室の入り口に立っていた。
「清四郎!どうしたんだよ、お前今日休むんじゃなかったのかよ」
「確かに、昨日の事はさすがの僕もショックでしたけどね。だからと言って何時までも落ち込んでいるわけにもいかないでしょ」
はにかむような顔をして答える。
「だいたい僕の事だけを忘れるなんて、納得いきませんからね。こうなったらどんな事をしてでも思い出させてみせますよ」
先ほどの顔とは違い、いつもの悪魔のような微笑でにっこり言い放った。
その笑顔の意味するところを理解している悠理以外のメンバーは、これから先の悠理の身を案じないわけにはいかなった。
「とりあえず、雲海和尚のところにでも行きますか」

「悠理、雲海和尚の事は覚えてますか?」
「あぁ、人間国宝の偉い坊さんだろ。あんななりで実はめちゃめちゃ強いんだよな」
清四郎は溜息をついた。
「和尚の事は覚えてるんですか。なんでそこまで覚えてて僕のことだけ忘れてるんだか・・・」
「なんだよ、じっちゃんの事覚えてちゃいけなかったのか?」
「そう言うわけじゃありませんけどね。だけど悠理が和尚と知り合ったのって僕の所為だっていうのは・・・覚えてませんよね」
悠理は首をかしげている。
「どういう事だ?」
「昨日、僕達が婚約してたことは言いましたよね」
「あぁ、でもすぐにお流れになったって」
「そもそもあの婚約は僕を含めた周りが、無理にしたようなものだったんですよ。あの時反対してたのは野梨子だけでした」
「野梨子が?」
「美童が言うには、野梨子にとって僕は『男』というものの基準だったらしいんですね。その僕が剣菱の名前に惹かれて婚約しようとしたんですから、当然と言えば当然なんですけど」
「剣菱の名前・・・?」
悠理は少なからずショックを受けている自分に気付いた。
「あの時は、自分の力を試してみたかったんですよ。正直今考えるとどうしようもないぐらいに自惚れていましたからね。その為には悠理のことも考えてやる余裕がなかった。色々と無理強いもしましたしね。今回悠理が僕の事を忘れてしまったのは、あのときの事も原因の一つかもしれません」
その時の事を後悔しているのか、清四郎の表情は苦しそうに見えた。
「話が反れてしまいましたけど、その婚約をしようという時に悠理は当然の様にかなり嫌がりましてね」
「あたいが?!」
悠理は意外な気がした。というよりは信じられないといったほうが近いかもしれない。
今の今まで記憶を無くす前の自分は、隣を歩くこの男の事を好きだったのではないかと思っていた。自分の中に「恋愛感情」なるものが存在するかどうかはよくわからないが、婚約していたというのだからそれなりの感情はあったのだろうと思う。だからこそさっき「剣菱の名前に惹かれた」と聞いてショックだったのではないのだろうか。
「そんな意外そうに言わないで下さいよ。散々嫌がった挙句、僕に決闘まで申し込んできたのは悠理なんですから」
「あたい、あんたの事嫌いだったのか?」
「僕に聞かないで下さいよ。また、話が反れてる、話を戻しますよ。とにかく悠理は誰か剣菱を継げる人間と婚約しなければならなかったんです。悠理はそれを承諾する変わりに一つの条件を出した。『自分より強い男』というね。剣菱を切り盛りできて悠理よりも強い男。その条件にあう男には僕はうってつけだった。だけど悠理は僕が本当に自分より強いか試すと言って決闘すると言い出したんです」
悠理は黙って聞いている。
「それでその決闘の前に、元々僕の師匠だった雲海和尚のところに行って僕が強くなったのは和尚の所為だって言って無理やり特訓してもらったらしいいですよ。よっぽど僕と結婚するのがイヤだったんでしょうね」
少し淋しそうに笑う清四郎に悠理の胸がどくんと鳴った。
「・・・なぁ。あたい、もしかしてこのまま何も思い出さない方が良いんじゃないのか?」
悠理はうつむき加減でポツリとそう呟いた。
「どう言う事ですか?」
「だってもしかしたらあたい、あんたの事嫌いだったのかもしれないんだろ?思い出してしまったらまた嫌いになるかもしれないじゃないか」
顔を上げるとさっきよりさらに辛そうな男の顔があった。
「ごめん」
清四郎は無理やり笑顔を作ると悠理の頭に手を置いた。
「悠理が謝る事ありませんよ。確かにその通りかもしれません。でももしそうなら今の状態でも遅かれ早かれ僕の事を嫌いになるでしょうね」
「ならないよ!だってあたい今あんたの事そんな風に思えないし、だいたい記憶を無くす前の時のことだって本当に嫌ってたっていうのも信じられないんだ」
「悠理・・・」
「あたい、あんたの事嫌いになりたくないんだ。だからもうこのままで良いじゃないか、な!」
半ばすがる様な悠理に清四郎は静かに首を横に振った。
「ありがとう悠理。でも、僕は例え嫌われていたとしても思い出して欲しいんですよ」
「なんで・・・?」
その問いに清四郎は目を細めただけだった。

 

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