「―――もう、よろしいんですの?」 悠理と入れ違いに入ってきた野梨子が、清四郎の前にある書類に目を落とした。 「あぁ。一段落ついたからね」 清四郎は何事もなかったかのように書類を纏めると悠理の温もりの残る制服を着込んだ。 「悪かったね」と野梨子の差し出した自分の鞄を受け取り書類を掴むと、その横をすり抜けた。 「・・・意外でしたわ」 「何が?」 その言葉で振り返ると、野梨子はまだ机に眼を落としたままだった。 「出よう。ここの鍵、職員室に返さなきゃいけないんだ」 野梨子が苛立っているのはわかっていた。 だが、清四郎自身も先ほどの悠理との時間があんな風に終わり、苛立ちを感じずにはいられなかったのだ。 野梨子に責任はない。そう思っていてもつい口調に出てしまう。 「あの方とゆっくりお話する時間はあっても、私が少し立ち止まる時間はないんですのね」 「何を馬鹿な・・・ほら、行こう」 「馬鹿なことですかしら」 歩き出そうとした清四郎はまたしてもその言葉で足を止めた。 疲れたように天井を仰ぎ、息を吐く。 「野梨子。―――とにかく帰ろう。何か話があるのなら帰りながらでいいでしょう」 「別に話なんて何もありませんわ。職員室に寄るんでしたわよね、下で待ってますわ」 野梨子は先ほどの清四郎のように、彼の横をすり抜けると会議室を後にした。
清四郎と野梨子は朱から紺に変わる夕暮れの帰路に着いていた。 「今日の議題はなんでしたの?」 「体育祭が近いからね、その概要と、後は前回の委員会で課題にしていたそれぞれの委員の今期の指標をね」 「まぁそれででしたの」 野梨子は口元を抑えると、クスクスと可笑しそうに笑い出した。 「何がだい?」 「清四郎が今日に限ってあの方を委員会に誘った理由ですわ。体育祭は彼女の独断場ですものね。いい意見が聴けまして?」 「よっぽど彼女が嫌いなんだね」 皮肉たっぷりの野梨子の言い方に、小さく笑う。 だがそれが、単に可笑しかったからではないというのは二人共わかっていた。 「てっきり清四郎もそうだと思ってたんですけど?」 疑問符はついていたが、明らかに否定を含んでいた。 「彼女は野梨子が思ってるほど嫌な奴じゃないよ。少し、感情表現が苦手なだけでね」 「随分とあの方の事理解してますのね」 「まだ全然何も知らないよ」 その言葉に、これからもっと知りたい、という感情が含まれている様な気がして野梨子の苛立ちは募っていった。
あれからそれ以上、彼女の話をするのが嫌で、野梨子は先日のお茶会に話を移し、いつものように家の前で清四郎と別れた。 だが話を逸らしてからも、清四郎が彼女の事を考えているようで会話はちっとも楽しくなかった。 こんな時こそ茶を立て心を落ち着かせるべきなのだろうが、そんな気にさえならない。 かと言ってこんな事を話せる友人もいない。 クラスでは孤立しているし、唯一の支えだと思っていた清四郎までもが離れていってしまう。 野梨子は自嘲する様に口元を歪めた。 自分でも分っていた。 先ほどの自分は、人の事をどうこう言えるほどの人間の態度ではない、と。 好き嫌いは別としても、感情が上手くコントロールできずに酷い言い草になってしまったように思う。 (あんな態度では清四郎が離れていくのも当然かもしれませんわね・・・) 野梨子は大きく深呼吸すると、気持ちを切り替えるように箪笥の着物へと手を伸ばした。 無理にでも、こんな自分を静めたかった。
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