「Detour」 −seishirou−

終業を告げる教師の言葉に教室内はざわつき、それぞれが部活動や帰路に着くため席を立ち始めた。
清四郎は果たして朝の効果があったのかどうか、と悠理の席へと視線を向けた。
意地を張ってクラス委員になった悠理は、クラスをまとめるという仕事はなんとかやってくれるが委員会に出る事だけはどうしてもしようとしなかった。
それがきっと、周りからどのような目で見られるかを知っているからかもしれない。
清四郎はそう思いながらも悠理を委員会に連れて行きたかった。
悠理はただの問題児ではない。
多少意地っ張りで、気持ちを伝えるのが不器用で。
確かに喧嘩っ早いが、それは誰かの為であるのだと言う事を清四郎は知っていた。
そして、皆にもそれを知って欲しかった。
その為にも大勢の前に出したかった。
悠理に掛けられている誤解を解きたかったのだ。

「清四郎」
悠理はもう席には居らず、既に教室から出ようとしているところだった。
それを嬉しく思い、自分もあとを追いかけようとした途端、野梨子に声を掛けられた。
「野梨子、今日は先に帰っていてくれないか。委員会があるんだ」
「そんなに遅くならないのでしょ?待っていますわ」
「いや、まだ日が落ちるのが早いからね。待たなくていいよ」
清四郎は早く悠理の後を追いたかった。
もしかしたら委員会のある会議室ではなく、別の場所に行ってしまうのではないか。
ちゃんと会議室に行ったとしてもすぐに帰ってきてしまうのではないか。
どちらの危険性もある。せっかく委員会に出るといった悠理をこのまま一人にしておくわけにはいかなかった。
「それじゃ、野梨子。また明日」
清四郎は、軽く手を上げると悠理のあとを追った。


「剣菱さん」
会議室へ向かう廊下で悠理の後姿を見つけた。
彼女とすれ違い、また自分ともすれ違う生徒達が皆一様に彼女を避けるように通っている。
後ろから見てもわかるその機嫌の悪さは、皆の悠理に対する誤解を解こうとする清四郎からすれば少し厄介だった。
だが何故そんなにも機嫌が悪いのかわからない。
清四郎は呼んでも振り返る事すらしてくれない悠理に、小さく溜息をつくとその隣に並んだ。
「良かった、覚えていてくれてたんだね」
「あたいはそこまで馬鹿じゃない」
「なにもそんなこと言ってないだろ。機嫌悪いなぁ」
清四郎は呆れたように言うと、肩を竦めた。
「・・・・いいのかよ。あいつとなんか約束でもあったんじゃないの〜?」
(やっぱり見てたのか)
機嫌が悪い理由まではわからないが、それに輪を掛けて野梨子の事を気にしているようだと思った。
悠理と野梨子の仲が悪いのは出会った時からだったのでその予想は容易についた。
未だに自分と野梨子の間に何かあると思っているようだと言う事も。
清四郎はその誤解も解きたかった。
自分と野梨子は幼馴染という以外、なにもない。
なのに、自分達を知る者は皆、何かあると思っているらしい。
正直、馬鹿馬鹿しかった。
そうなのだ。これまではただ馬鹿馬鹿しかっただけだった。
だが最近、そう思われると困ると思い出した。
悠理を見る事が多くなり、悠理にもそう思われてると思うと、いても立ってもいられないほどその誤解を解きたくなるのだ。
皆の悠理に対する誤解を解きたい。
悠理の自分に対する誤解を解きたい。
それが何を意味するのか、清四郎は気付いていた。
そしてそこには可愛くも醜い感情がついてくる事も。

「僕何か、君を怒らせるような事したかな」
誤解されている苛立ちが清四郎の声の質を、意思とは別に変えていた。
「君だって本当は何か約束でもあったんじゃないのか?いつも学校が終わるとすぐ何処かへ行ってしまうし」
自分でも完全な嫉妬だと気付いていた。
学校以外の悠理を全く知らない清四郎にとって、そこで誰とで会い、どう過ごしているのか、それが不安にも似た気持ちにさせていた。
もしかしたら、もう恋人がいるのかもしれない。苛立ちは募るばかりであった。
「あたいが何しようとお前には関係ないだろ」
「僕が誰と約束しようが君に関係ないようにね」
ふたりはフンと鼻を鳴らすと、同時に反対方向へ顔を向けた。


悠理が会議室に入ると、一気にその中は騒然とした。
学園一の問題児が委員である事は知っていたのだが、当然のように今まで委員会に参加などした事はない。
それが、どういう訳か遅刻するわけでもなく、ましてや生徒会長でもあり学園一の優等生の清四郎と同じクラスとは言え一緒に入ってきたのだ。
あからさまに顔を引き攣らせている監督するためにいた教師や、他の生徒達の人を小馬鹿にするような視線に悠理はくるりと踵を返した。
「やっぱ、あたい帰るわ。なんか迷惑みたいだし」
その手を清四郎は掴んだ。
「ダメだよ、ここまで来て何言うんだ。ほら、あの席に座って」
清四郎の中にはもう先ほどの苛立ちは消えていた。
皆が悠理を見る視線が苛立ちよりも悔しさを呼び起こした。
その視線の意味が許せなかった。
「僕はあっちに座らなきゃいけないんでね」
悠理の目が少し不安げに見えた。
(ほら、やっぱりこんなに弱いじゃないか)
隣にいてやる事は出来ないが使える物は何でも使って彼女をその視線から守り通そうと思っていた。
少しでも良いから悠理に対する皆の認識を変えたかった。
清四郎は悠理を手を掴んだまま、席まで連れていった。
「とにかく、座ってるだけで良いから」
悠理を無理やり座らせると、清四郎も自らの席に着き委員会の開始を宣言した。


思いのほか悠理は頑張っていた。
きっと話なんて全くと言っていい程聞いてはいないのだろうが、それでもちゃんと起きている。
手が動いているのは、きっと落書きでもしているのだろう。
清四郎はそれでも良かった。
悠理が委員会に出ている。それだけでも皆の中では少しこれまでとは変わるだろう。
現にもう悠理に対して、苛立つような視線を向ける者はいない。
少しずつでも、そうして変わっていけば良いと思っていた。
だから悠理が自分の腕を枕に寝てしまったのを見ても、仕方ないと溜息をついてはみたが、さほど落胆していたわけでも呆れたわけでもなかった。
今日はまだこれで十分だ、そう思っていた。

委員会が終わっても悠理は目を覚まさなかった。
周りで皆が椅子をガタガタいわせていても、熟睡しているのか起きる様子はない。
やはりそんな悠理に軽蔑の混じった視線を投げつける輩に、こちらも視線をぶつけてやると、彼等は皆、顔を引き攣らせながら部屋を後にした。
「―――剣菱さん・・剣菱さん・・・」
清四郎は皆が出て行っても起きない悠理の肩に躊躇いがちに手を添えた。
揺り動かしてみるが、よほど眠かったのか、少し身じろぎをしただけでスヤスヤと眠りこんでいる。
清四郎は起こすのを諦めた。
いつものあの機嫌の悪そうな顔は影を潜め、無邪気な寝顔がそこにある。
その寝顔をもう少し見ていたかった。
自分の席から書類を持ってきて隣に座る。
悠理が起きた時、「自分がまだここにいる理由」が必要だと思ったのだ。
制服の上着を脱ぐと寒そうな肩に掛けてやった。
その重みが違和感と感じ取ったのか、せっかく隣に座りその寝顔を見ていようと思った清四郎とは反対に顔を動かしてしまった。
清四郎は(失敗したか)と苦笑を漏らしらが、そのまま動くことなく悠理の目が覚めるのを待った。

部屋がオレンジに染まってきた頃、悠理が身じろぎをした。
「あ・・?え?」
ゆっくり上体を起こし、戸惑っている。
自分がどのような状況か瞬時に把握できていないのであろう。
体を解すように首を動かしたあと、漸く清四郎の方に向いた。
「眼が覚めましたか?」
その一通りを見ていた清四郎は、落ちてしまった自分の制服を拾い上げ無造作に自分達の間に置いた。
「――――なにしてんの?」
まだ少し眠そうな顔で悠理が訊く。
清四郎は予想通りの質問に、「書類の整理」という用意していた答えを出そうとした。
だがいざ口をついて出たのは、それとは全く逆だった。
「君の眼が覚めるのを待ってたんだよ」
思わず本当の事を言ってしまい、顔が熱くなる。
今が夕暮れ時で良かったと思った。
ふと悠理を見ると、自分の思ってもみなかったであろう言葉に不思議そうな顔をしている。
「お、起こせば良かったじゃん」
ぶっきらぼうにそう言うのは、寝顔を見られたという恥ずかしさからだろうか。
照れているのを隠すように伸びをする悠理が可愛かった。
「よく眠ってたからね」
清四郎はクスリと笑うと、頬杖をつき悠理の方に体を向けた。
(ホント、素直じゃないねぇ)
それが悠理に対してなのか、自分に対してなのか、清四郎は自分でもよくわからなかった。
「それって嫌味かよ」
笑ったのが気に触ったのか、悠理は舌打ちすると拗ねるように机に腕を伸ばしたまま突っ伏した。
だが寝起きの所為か寒気を感じたらしい。
「くしゃん」
その憎まれ口からは想像も出来ないほどの可愛いくしゃみを一つした。
清四郎はまた上着を掛けてやった。
「まだもう少し着ていた方がいい」
少し驚いたように自分を見ていた悠理がフイっと視線を外し、清四郎は困惑した。
―――余計な事だったろうか。
そう不安に思ったのも束の間、悠理の言葉でそれが杞憂である事がわかった。
「いいよ。もう帰るんだし。お前だって・・・あいつと約束あるんだろ?」
「・・・・どうして、そんなにこだわるのかなぁ」
清四郎は上着を掛けたのが悠理にとって迷惑ではなさそうだという事に安心しつつ、それでもやはり溜息をつかずにはいられなかった。
「だって・・教室で引き留められてたじゃん。いつもだって、一緒にいるし」
いつもの喧嘩腰ではないその言い方に、清四郎は嬉しくなった。
ずっとその事を悠理に言われるのが嫌だった。
だが今は少し拗ねたようなその言い方が、これまでの野梨子への嫌悪感に対するものでなく、自分に対して―――願望かもしれないが――どこかヤキモチのようなモノを感じた。
「そんなことないんだけどなぁ」
「そんなことあるんだよ」

拗ねて不貞腐れているような悠理になんと言おうか。
この誤解はどうしたら解けるのか。
清四郎は、少しの喜びを感じながらもその誤解をどうしても解きたかった。
そして、もう一つの懸念もハッキリさせたかった。
「―――君こそ約束、あったんじゃないのか?」
また余計な事だと怒られるかもしれない。
そう思ったが、聞いておきたかった。
だが、悠理の応えは清四郎を安心させた。
「ないよ。あたいだって、別に何の約束もない」
それが、「今日だけ」であったとしても清四郎は嬉しかった。
もし、「約束があった」と言われれば、この時間はもう続ける事は出来ない。
「なら今からでも行けばいい」
まだそんな優しい言葉が言えればマシだが、またつまらない事を言って喧嘩になってしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。

悠理が机に頬をつけた。まだ眠いのか、気持ち良さそうな顔をしている。
「なあ・・・」
「ん?」
「お前、寒くない?あたいにこれ着せて」
言いながらも悠理は清四郎の学ランに腕を通した。
「大丈夫だよ」
悠理が寒くなければそれで良かった。
自分の制服を拒む事もせず、それどころか腕を通し、満足げにしている悠理。
抱きしめたいと思う感情を、この時を壊したくないという思いで押し留めた。
「そか」
「あぁ」
悠理が小さく笑った。
「何」
急に小さく笑い出した悠理に清四郎は首をかしげた。
「だって、お前ってもっと嫌な奴かと思ってた」
唐突なその言葉に流石に清四郎も眉間に皺を寄せた。
そんな清四郎に更に悠理が可笑しそうに笑う。
清四郎がむっとしたのをみて悠理は更に可笑しくなった。
「ガキみて〜」
「ゆ・・・君には言われたくないな」
時が一瞬止まった。

「―――今、名前・・・・」
悠理がそろそろと上体を起こし、清四郎を凝視した。
清四郎は、今「君」ではなく「ゆ」と、「悠理」と続けそうになってしまった。
「こうして話をしてて、小さい頃の事を思い出したのかもしれない。前に君とこんなに話をしたのはもう何年も昔の事だけど」
咄嗟に嘘をついた。
確かに小さい頃、お互いを名前で呼びあっていたのは事実だった。
だが清四郎はそれを「思い出した」のではない。ずっと清四郎の中では悠理は「悠理ちゃん」だったのだ。
成長と共に話をする機会がなくなり、その名を呼ぶ事が少なくなっていった。
そのブランクがもう「悠理ちゃん」と素直に呼べなくしていっていた。
「あの頃は、名前で呼んでたんだね」
清四郎は肩を竦めると自嘲する様にフンと鼻を鳴らした。
「―――せーしろ・・・」
「え」
今度は清四郎が悠理を凝視する番だった。
「え。いや、ほら、なんか懐かしいなと思ってさ」
悠理が慌てたようにぶかぶかの制服の腕を振る。
その照れたような笑みに清四郎も素直に微笑み返した。
名前で呼んで見るのもいいかもしれない。いや、名前で呼びたい。
そう思った。
「ゆーりちゃん・・今更ちゃんもおかしいか」
いつも膨れっ面をしている悠理に「悠理ちゃん」と呼ぶところを想像して可笑しくなった。
「なんだよお、呼び捨てにする気か?」
やっぱり悠理は膨れっ面をしている。
だが怒っているわけではなさそうだった。
「良いだろ、別に。自分だって僕の事呼び捨てなんだろ?」
「せーしろーはせーしろーでいいんだよ。なんならちゃん付けで呼んでやろうか?」
へへんと笑う悠理に、清四郎もにやりと笑い返した。
「じゃ僕も悠理ちゃんて呼ぼうか?悠理ちゃん」
まるで小さい子を呼ぶように、髪に触れた。
柔らかいその感触に、どきりとした。
「あ、こらやめろよ、せーしろお」
自然に名を呼んでくれる事が嬉しかった。

「――――随分、楽しそうですのね」
それは突然だった。
「廊下にまで、聞こえてますわよ」
「野梨子・・・」
先に帰ったはずの野梨子が部屋の入り口に立っている。
悠理の体が硬直したのが気配でわかった。
「他の委員の方がもうとっくに帰ったのに、清四郎はちっとも戻ってこないし。暫く教室で待ってたんですけど気になって見に来ましたの。なにか手伝える事はないかと思って」
「あたい、帰る」
悠理が顔を強張らせ清四郎の制服を脱ぎ、ガタガタと椅子をいわせて立ち上がった。
だが清四郎はそれを腕を掴んでとめた。
「悠理、ちょっと待て。僕もカバンがまだ教室なんだ。一緒に行こう」
こんな終わり方は嫌だった。先ほどまでの楽しかった時間が、こんな終わり方をするのだけは避けたかった。
「お前のはあそこだよ」
悠理が野梨子を顎でしゃくって見せた。
その通り、野梨子の手にカバンが二つあった。
「――やっぱり、約束あったんじゃねーか」
悠理が怒鳴るわけでも皮肉を込めるわけでもなく、ポツリと呟いた。
「違う」
本当に誤解だった。野梨子と約束などない。
それが言葉にならなかった。
「制服、あんがと。暖かかった」
悠理は顔を見るわけでもなく、それだけ言うと、清四郎の脇をすり抜けた。
「清四郎?」
代わりに、野梨子の声が聞こえた。

 

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