「Detour」 −youri−



桜の花弁も姿を消し、その枝には緑の葉を繁々と付けている。
衣替えにはまだ少し早いその日、悠理は学校のアーチをくぐるなりクラスメートに声を掛けられた。
「おはよう剣菱さん、今日こそ委員会に出てもらうからね」
共にクラスの委員している清四郎のその言葉に、朝一から面倒くさそうに不満の声を上げた。
「えぇ〜。なんだよいきなり。ヤダよ、そんなのお前一人で十分だろ」
だが、少し離れたところでこちらを見ていた同級生の少女と目が合い、悠理は「やっぱ出る」と言い直した。
目が合った瞬間、小さく笑われた気がしたのだ。
あまりに唐突に面倒臭そうというのから、一気に怒ったような顔になった悠理を、清四郎は訝しげに覗きこんだ。
不意に顔が近付き悠理は慌てて仰け反った。
「な、なんだよ」
「どういう心境の変化かと思ったんでね」
「偶にはそういうのにも出てやってもいいかな、と思っただけだよ」
悠理はフンと鼻を鳴らし、顔を背けた。
「ま、その気になってくれたんなら良かったよ。じゃぁ今日の放課後だからね」
「わーったよ」

清四郎が去り、悠理はどうしたもんかと考えた。
実は今日は喧嘩仲間である魅録やその仲間と遊びに行く予定だったのだ。
だが勢いとはいえ委員会に出ると言ってしまった手前、今更サボれば先ほど目が合った少女、野梨子に馬鹿にされるのは目に見えていた。
彼女にだけは何も言われたくなかった。
常に清四郎の隣にいる彼女にだけは。
子供の頃から二人が一緒にいるところを見るのが、何故か無性に腹立たしかった。
清四郎に縋るような野梨子が許せなかったのか、それを甘んじて受け入れてる清四郎が許せなかったのか。
どちらにしろ、自分には関係ないはずなのに、そんな二人を見たくなかった。
それでも今まではまだ良かった。悠理のそのモヤモヤした気持ちがどこかに届いたのか、小等部に上がってから中等部の二年まで同じクラスになる事がなかったのである。
偶に見掛ける事はあったが、その時だけの苛立ちで済んでいた。
それが、何の因果か今年になり三人揃って同じクラスになってしまった。
気にしなければいいと思っていても、二人が一緒にいるところが眼に入ってしまう。
悠理の苛立ちは、日に日に積もっていった。
それが原因だったのかもしれない。
クラス委員を決める時、野梨子に暴言を吐いてしまったのは。
悠理とて、むやみやたらに人を貶す事はしない。
だが、どうしても見ていたくなかった。清四郎と野梨子が同じ壇上に立っている所を。
つい、つまらない事を言ってしまった。
おかげで委員をやる羽目になったのだが。
「う〜ん・・どうしよっかなぁ。あいつの電話番号なんて知らないしなぁ・・・五代に代わりに行ってもらうか」
悠理はそう考えにやりと笑った。
執事の五代が不良連中の和に入って行くトコを想像して可笑しくなったのだ。
「ま、あいつ等は何もしないか」
気の良い連中を思い浮かべ安心したように、まだ外でモータショーのラッシュに捕まっているはずの運転手の元へと駆けて行った。

終業を告げる教師の言葉に教室内はざわつき、それぞれが部活動や帰路に着くため席を立ち始めた。
悠理はそれを羨ましく思いながら、委員会に向かうため出口へと向かった。
相方である清四郎を見ると、席は立っていたが野梨子に何か話しかけられている。
悠理は例に漏れずその光景に気分が悪くなるのを感じると、振り返った瞬間清四郎と目が合った気がしたが、小さく舌打ちして教室を出た。
「なんだよ、あいつら。いつもいつも・・・」
すれ違う生徒達が皆自分を避けて行く。
だがそんなことは眼にもくれず、悠理は会議室へと向かった。
「剣菱さん」
後ろから、苛立ちの原因である清四郎の声が追いかけてきた。
悠理は振り向かなかった。
どう考えても自分は今、その男に対して普通に接する事など出来ないのだから。
だが振り向かずとも程なくして清四郎は隣を歩きはじめた。
「良かった、覚えていてくれてたんだね」
「あたいはそこまで馬鹿じゃない」
「なにもそんなこと言ってないだろ。機嫌悪いなぁ」
清四郎は呆れたように言うと、肩を竦めた。
「・・・・いいのかよ。あいつとなんか約束でもあったんじゃないの〜?」
自分でも嫌な言い方だと思いながら、悠理は腹立ち紛れに歩くペースを早めた。
「僕何か、君を怒らせるような事したかな」
流石に清四郎の声もトーンが変わってきている。すぐにまたとなりに並ぶと、ちらりと視線をよこしてきた。
「君だって本当は何か約束でもあったんじゃないのか?いつも学校が終わるとすぐ何処かへ行ってしまうし」
「あたいが何しようとお前には関係ないだろ」
「僕が誰と約束しようが君に関係ないようにね」
ふたりはフンと鼻を鳴らすと、同時に反対方向へ顔を向けた。


悠理が会議室に入ると、一気にその中は騒然とした。
学園一の問題児が委員である事は知っていたのだが、当然のように今まで委員会に参加などした事はない。
それが、どういう訳か遅刻するわけでもなく、ましてや生徒会長でもあり学園一の優等生の清四郎と同じクラスとは言え一緒に入ってきたのだ。
あからさまに顔を引き攣らせている監督するためにいた教師や、他の生徒達の人を小馬鹿にするような視線に悠理はくるりと踵を返した。
「やっぱ、あたい帰るわ。なんか迷惑みたいだし」
その手を清四郎が掴む。
「ダメだよ、ここまで来て何言うんだ。ほら、あの席に座って」
清四郎が目で指したその席は一人分だった。
他の生徒達はクラス毎に二人一組―――男女交互に並んでいる。
しかし楕円系の大きな会議用のテーブルにはもう並んで空いている席はない。
清四郎が指した席と、窓際の皆の中心になるような席が残っているだけだった。
「僕はあっちに座らなきゃいけないんでね」
残っていた席は生徒会長用の席だったらしい。
清四郎は悠理を手を掴んだまま、席まで連れていった。
「とにかく、座ってるだけで良いから」
悠理を無理やり座らせると、清四郎も自らの席に着き委員会の開始を宣言した。


―――悠理の瞼は大変仲が良かった。
清四郎は、先ほどからいくつもの議題をまとめ話を進ませている。
それに対し、悠理は特にする事もなく、配られていた議題の載ったプリントに落書きなどして時間を潰していたのだが、どうにもこうにも眠くて仕方なかった。
今にも上の瞼と下の瞼がくっつきそうである。
野梨子への反発心で堪えてきたがもう限界だった。
(ま、どうせあいつがここにいる訳じゃないしな)
ちらりと清四郎に視線をやると、真剣な顔つきで他の生徒達の意見を聞いている。
その時、悠理の視界に同じように清四郎の事を見ている数人の生徒が見えた。
皆、女生徒ばかりである。
その視線の意味がわからないほど、悠理はお子様ではなかった。
(へ〜、モテモテじゃぁん)
ぼんやりした頭でそんなことを考えながら欠伸をすると腕を枕にするように頭を倒した。
眼を閉じる瞬間、清四郎が溜息をついているのが見えた。


眼が覚めた悠理が最初に見たのは、誰もいない部屋だった。
この部屋に入ってきた時とはその色も違う。
今は部屋がオレンジに染まっていた。
「あ・・?え?」
起き上がると肩から何かが滑り落ち、隣に気配も感じた。
同じ姿勢で寝ていた所為か、首の筋肉がおかしい。
それでも悠理は、反対――その気配へと顔を向けた。
「眼が覚めましたか?」
カッターシャツの一番上のボタンを開け、清四郎は書類片手に微笑んでいた。
今までに見た事のない、そのリラックスした姿に悠理はどきりとした。
清四郎は落ちた自分の学ランを拾い上げると、悠理との間に無雑作に置いた。
「なにしてんの?」
ついて出た言葉はそれだった。学ランの事からでもその理由はわかっていたはずなのに。
「君の眼が覚めるのを待ってたんだよ」
思っていた通りの応えは、不思議な事にちっともいつもの皮肉は感じられなかった。
ただ楽しそうに、悠理を見ている。
悠理はなんだか胸の奥がウズウズしていた。
顔も火照る。
「お、起こせば良かったじゃん」
悠理は真っ赤になっているであろう顔を隠すため伸びをするように両腕を顔の横で大きく伸ばした。
「よく眠ってたからね」
清四郎はクスリと笑うと、頬杖をつき、悠理の方に体を向けた。
「それって嫌味かよ」
悠理は照れもあってちぇっと舌打ちすると、拗ねるように机に腕を伸ばしたまま突っ伏した。
だが寝起きの所為か寒気を感じた体は正直に反応して
「くしゃん」
その憎まれ口からは想像も出来ないほどの可愛いくしゃみを一つした。
途端に、横に置いてあった学ランが浮き、自分の体に掛けられる。
それは心の奥の違和感を消してしまうほど暖かかった。
「まだもう少し着ていた方がいい」
その優しい目に惹きこまれてしまいそうだった。
それを振り切る。きっと夕焼けのこの雰囲気が自分をいつもと違うところへ錯覚させてる所為だと思った。
「いいよ。もう帰るんだし。お前だって・・・あいつと約束あるんだろ?」
「・・・・どうして、そんなにこだわるのかなぁ」
清四郎はふ〜と大きく息を吐いた。
「だって・・教室で引き留められてたじゃん。いつもだって、一緒にいるし」
悠理はその様子に、なんだかばつが悪くなり、清四郎から視線を外した。
「そんなことないんだけどなぁ」
「そんなことあるんだよ」

「―――君こそ約束、あったんじゃないのか?」
あまりに答えのない清四郎に、悠理が怒らせたかなと思った頃、漸くその声を聞く事が出来た。
だが先ほどとは打って変わって悠理の方を見ようとしない。
悠理はなぜか途端に寂しくなった。だからかもしれない。
嘘を、ついた。
「ないよ。あたいだって、別に何の約束もない」
魅録やその仲間達との約束があったと、今は言いたくなかった。
言えば、この時間が終わる、そう思った。
錯覚なら錯覚でいいという気がしてきていたのだ。
清四郎が野梨子との約束などないと言った時から、どんどん胸の奥がおかしくなっていた。
机に頬をつけてみると、冷たくて気持ち良かった。
「なあ・・・」
「ん?」
漸く向けられた視線は優しいそれに戻っていた。
悠理は嬉しくなり、自分も瞳を和らげた。
「お前、寒くない?あたいにこれ着せて」
言いながらも悠理は清四郎の学ランに腕を通した。
「大丈夫だよ」
「そか」
「あぁ」
悠理は、可笑しくなった。
「何」
急に小さく笑い出した悠理に清四郎が不思議そうに訊く。
「だって、お前ってもっと嫌な奴かと思ってた」
清四郎がむっとしたのをみて悠理は更に可笑しくなった。
「ガキみて〜」
「ゆ・・・君には言われたくないな」
時が一瞬止まった。

「―――今、名前・・・・」
悠理はそろそろと上体を起こし、清四郎を凝視した。
今「君」ではなく「ゆ」と言いかけた。
「こうして話をしてて、小さい頃の事を思い出したのかもしれない。前に君とこんなに話をしたのはもう何年も昔の事だけど」
悠理の遠い記憶の中に、確かに「せいしろ」「ゆーりちゃん」と呼び合う幼い自分達がいた。
だがそれもたった一度か二度の事だったように思う。
しかもその頃から自分は全く可愛げがなかったような気がする。
自分は呼び捨てで相手がちゃん付けで呼んでいる事から考えてもそれは間違いないだろう。
「あの頃は、名前で呼んでたんだね」
清四郎は肩を竦めると何処か自嘲する様にフンと鼻を鳴らした。
「せーしろ・・・」
「え」
悠理は訊き返されてから、自分がその名を呟いていた事に気付いた。
「え。いや、ほら、なんか懐かしいなと思ってさ」
あの時、まだ小さかった頃。野梨子が「清四郎ちゃん」と呼ぶのが気に入らなかった。
だから、自分は敢えて呼び捨てにした。
その方が「清四郎ちゃん」より良い気がした。
「ゆーりちゃん・・今更ちゃんもおかしいか」
悠理は名前を呼ばれどきりとした。
だが今度こそ可笑しそうに笑う清四郎に頬を膨らませる。
「なんだよお、呼び捨てにする気か?」
「良いだろ、別に。自分だって僕の事呼び捨てなんだろ?」
「せーしろーはせーしろーでいいんだよ。なんならちゃん付けで呼んでやろうか?」
へへんと笑うと、清四郎もにやりと笑い返した。
「じゃ僕も悠理ちゃんて呼ぼうか?悠理ちゃん」
まるで小さい子を呼ぶように、御丁寧に頭まで撫でてくる清四郎の腕をだぶだぶの制服で掴んだ。
「あ、こらやめろよ、せーしろお」

「――――随分、楽しそうですのね」
それは突然だった。
「廊下にまで、聞こえてますわよ」
「野梨子・・・」
悠理は清四郎が野梨子の名前を呟いたのを聞いて、今までの時間がサーとひいていくのがわかった。
「他の委員の方がもうとっくに帰ったのに、清四郎はちっとも戻ってこないし。暫く教室で待ってたんですけど気になって見に来ましたの。なにか手伝える事はないかと思って」
「あたい、帰る」
悠理は清四郎の制服を脱ぐと、ガタガタと椅子をいわせて立ち上がった。
だが清四郎に腕を掴まれる。
「悠理、ちょっと待て。僕もカバンがまだ教室なんだ。一緒に行こう」
「お前のはあそこだよ」
悠理は野梨子を顎でしゃくって見せた。
野梨子の手に2つカバンがあるのをちゃんと見つけていたのである。
「やっぱり、約束あったんじゃねーか」
「違う」
「制服、あんがと。暖かかった」
悠理はそれだけ言うと、清四郎の腕から逃げるように出口へと向かった。
だが本当に逃げたかったのはその腕の温もりではなく、その先に立っていた野梨子の方だと知っていた。
野梨子の脇をすり抜けるようにその部屋を出ると、入れ違いに彼女が入っていくのが見えた。

 seishirou

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