タイムマシーンにのって


 ある日の放課後。女性誌を眺めていた可憐が、本から目を上げて、有閑倶楽部の面々に尋ねた。
「ねえ、もしもタイムマシーンが使えるとしたら、みんなは未来に行きたい? それとも過去に行きたい?」
 最初にその話題に飛びついてきたのは、机に脚を投げ出して、車関係の雑誌をぱらぱらとめくっていた魅録だった。
「俺だったら、絶対過去だな。戦国時代に行って、戦ってみてえな」
 清四郎が読み終えて積んでおいた新聞をぱっと取り上げるなり、くるくるっと巻いて即席の刀を作り、隣で携帯片手にガールフレンドと話をしていた美童に斬りつける恰好をした。
「いたいな、何するんだよ〜」
 斬りつけられた頭を撫でながら、美童が魅録を睨む。それでも、魅録はちゃんばらをやめなかった。美童は携帯を離さないまま、部室を逃げ回っている。
 可憐が呆れたように笑った。
「なにそれ。『戦国自衛隊』のつもり?」
「下克上は男の夢だぜ」
「はいはい、あんたは勝手に織田信長にでもなってなさい」
「どうしたんですの、急に」
 清四郎と囲碁をやっていた野梨子が、顔を上げて尋ねる。
「この本にね、読者アンケートで『タイムマシーンがあったら、行きたいのは過去? それとも未来?』ってやったら、ほとんどの人が過去だったって載ってたの。未来に不安を感じている人が多いからって書いてあるのよ。それで、みんななら、どっちかなって思って」
「ああ、その気持ちは分かりますね。年々ボーナスは減ってゆくのに、家のローンは残ってる。苦労して子どもを育てても、ニートになって親のすねかじり。夫の退職金を唯一の楽しみに、生きてゆく未来に希望なんか全くないですからね」
 碁盤を睨みながら、清四郎が平然と言った。
「大病院の御曹司が言うような台詞じゃないわね。夢がないったら」
「そういう可憐はどうなんですか」
「あたし? あたしは当然未来よ」可憐は自慢の髪を払いのけながら言った。「どんな人を捕まえて、玉の輿にのって優雅な生活を送っているのか知りたいじゃない? 相手を見つけだす手間が省けるわ」
 予想していた通りの答えだったので、清四郎は薄く笑った。馬鹿にされた気がして、可憐は清四郎を睨みつけた。
「僕は、未来にも過去にも興味ないな。年とった自分なんて絶対見たくないし、今が楽しければそれでいいからね」
 ガールフレンドとのデートの約束を無事とりつけたのか、携帯をしまい、美童がにこにこと笑いながら会話に加わってきた。
「それもまた、美童らしい答えですね」
「そういう清四郎はどうなのさ。やっぱり未来? 菊正宗病院を牛耳ってる自分が見てみたいとかさ」
「牛耳ってるとは失礼な。経営してると言うんですよ」
「いや、お前なら絶対牛耳ってるな。剣菱を動かしていた時を思い出してみろよ。好き勝手やってたじゃないか。和子さんと毎日喧嘩してる姿が目に浮かぶぜ」
 にやにやと笑いながら魅録が言う。触れられたくない過去だったのか、清四郎は憮然とした表情で碁をさした。とたんに、野梨子が冷ややかな声で告げた。
「清四郎、動揺しているのがありありと出ていますわよ。この勝負、私の勝ちですわね」
 え、と驚いて清四郎が碁盤を見ると、決して置いてはいけない場所に、清四郎の黒い碁石が置かれていた。野梨子が石を示して、にっこりと笑いかけている。屈辱に顔が紅潮しかけたが、清四郎は強い意志でそれを押し込め、いつもと変わらぬ表情を作り出して顔を上げた。
「僕は、未来には興味はないですね。未来が分かってしまうと、人生に面白みがなくなるじゃないですか。会社経営も、自分の頭で未来を想像する過程があるからこそやりがいがあるんです」
「さすが、言うことが大きいな」
 魅録が感心したように口笛を吹いた。
「じゃあ、過去には興味があるんですの?」
「そうですね……」
 清四郎はふと考えた。魅録の言うように、戦国時代にでも行って自分の強さを試してみたい気持ちはある。織田信長にとって変わろうという気はおきないが、その隣にあって権謀術数を駆使し、武田や上杉、毛利を相手に戦うのもおもしろいかもしれない。
「戦国時代もおもしろいかもしれませんね。それとも、幕末の、変わり行く日本をこの目で見るのも一興かもしれません」
「あー、そりゃおもしろそうだな」
「僕は過去の日本には興味ないな。行ったとたんに命を狙われそうで」
 美童がぶるぶると首を振った。その横で、また魅録がいじわるな笑みを浮かべながら、新聞の刀で美童を斬りつけた。
「場所が選べるなら、クレオパトラとか楊貴妃とか、世界の美女たちに会ってみたいけれど」
「美童らしいですわね。私は、千利休に会ってみたいですわ」
 野梨子の言葉に反応したのか、可憐が用意したケーキをホールごと食べている最中だった悠理が、ぴくりと顔をあげた。
「なになに、利久まんじゅうもあんの?」
 とたんに美童がぷっと吹き出した。
「相変わらず、悠理は食べ物しか興味ないんだね」
 野梨子も笑いを堪えながら、悠理と──同じように首を傾げている可憐に説明をする。
「違いますわ、悠理。千利休ですわよ。豊臣秀吉の片腕とも言える人物で、茶道を確立した人ですの。歴史の教科書にもちゃんと載っていますわよ」
 嫌いな勉強の話になって、悠理は顔色を変えて再びケーキに顔を戻した。
「悠理、あんたなら行ってみたいのは過去? それとも未来?」
「え〜? うーん……」
 珍しく、悠理が真顔で考えこんでいる。だが、答えは見つからなかったのか、えへへ、と頭を掻きながら言った。
「あたいはどっちでもいいじょ。おいしいものがお腹いっぱい食べられるなら」
「なら、お前は過去も未来もどっちも行けませんね。お前の食欲を満たしてくれるのは、現在しかありません」
 可憐が用意したケーキや飲み物を見て納得したのか、「そうかも」と悠理は呟いた。
「なによ、みんな。過去ばっかり。面白みがないわねえ。未来の自分が見たいって人は誰もいないの? あーあ、有り余る金を持ってるあんたたちでもそうなんだから、アンケートの答えも仕方ないかもしれないわね」
「未来なんて、見ないほうがいいんですよ。希望通りの未来ならいいですが、そうでなかったら、生きてゆく気力も失うのがオチですからね。未来は自分の目で見るものではなく、夢を見るものなんです。それにね、現在の自分の努力次第で、未来は変わっていくものなんですから」
 哲学者のように真面目な顔で諭す清四郎を見て、可憐がげんなりした顔でため息をついた。
「わかった、わかったわよ。それならあたしは、今まで以上に自分を磨くことにするわよ」
 そう言って鞄を取り上げ、碁石を片づけている野梨子に言った。
「ねえ、これからエステに行かない?」
「それも、よろしいわね。清四郎のおっしゃる通り、輝かしい未来のために、ですわね」
「悠理、あんたもいっしょにいらっしゃい」
「え! でもまだ食べ終わってないし」
 テーブルの上に残っているケーキを、恨めしい目で見る。野梨子がくすりと笑った。
「じゃあ、さっさと食べちゃいなさいよ。あんたのことだから、あっという間でしょ。それぐらい待つわよ」
 慌ててケーキや飲み物を口の中にかっこんだ悠理を引きずるようにして、有閑倶楽部の女性三人は、意気揚々と部室を出ていった。
 それを見送って、美童が感嘆の声をあげる。
「さすがは可憐だね。さっそくエステとは、行動が早い」
「玉の輿に関しては不屈の闘志を燃やすところが、可憐のいいところですよ」
 違いない、と魅録が笑う。
「じゃあ僕も、輝かしい未来のために、彼女とデートしてくるかな」
 携帯電話の時計をちらりと見やって、美童は鞄をとりあげた。
「おや、今日はどこの女性がお相手ですか?」
「新鋭のデザイナーなんだよ。服のセンスもさることながら、車やレストランや、ホテルのセンスもいいんだ。じゃあね〜」
 浮かれた足取りで部室を出ていった美童を見送った魅録が、照れたような──ばつの悪そうな表情で、清四郎を見やった。
「あいつ、あんなこと言って、いつもとやること全然変わらないよな」
「よくも悪くも、それが美童ですからね」
 清四郎は薄く笑いながら答える。あいつの立つ瀬がないな──と魅録は少しばかり、美童に同情した。
 そういうこいつはどうなんだろう。
 魅録は、専門書のような分厚い本を取りだして、読み始めた清四郎の横顔を窺う。
 家柄にも頭脳にも──身体にも恵まれているこいつが、自分の未来のためにしている努力なんてあるんだろうか。
 学校の先生たちでさえ太刀打ちできない清四郎の頭脳は、自分の将来のためというよりも、後から後から沸いてくる知識欲を満たすためだけに、ありとあらゆる分野の本を読み吸収しているように見える。
 こいつの上に立つのは人間国宝の雲海和尚だけ、という武道に関しては、子どもの頃悠理に馬鹿にされたのがきっかけで励んだというが──悠理など足下にも及ばないくらい強くなった今は、ただ、自分の力がどこまで高められるか、という興味だけで修行しているように見える。
 菊正宗病院の跡取りという立場については、言わずもがなだ。
 こいつの取り澄ました顔を見ていると、自分の未来などすでにお見通しなのではないかと思う。自分だけでなく、こいつとツルんでる俺たちのこともすべて。
 そして──こいつが夢見るものは、自分の未来というちっぽけなものではなくて、日本の──世界が行きつく、遠い未来の姿かもしれねえな。

 
「魅録は、どこにも行かないんですか」
 魅録の視線が気になったのか、清四郎が本から視線を離さないまま尋ねた。
「いや、別に約束なんかねえし。家に帰っても暇だしな」
「僕の顔を見ているのが暇つぶしになるんですか?」
 清四郎がわずかに顔をしかめる。その反応をおもしろく思いながら、魅録は呟いた。
「んー? っていうより、おまえが何考えてるのか、色々想像してる」
「何ですかそれは」
 あからさまに清四郎が仏頂面になった。本を置いて、椅子ごと魅録から離れる。
「逃げんなよ。別に変なこと、考えちゃいねえって。おまえがさ、興味あるのは10年20年なんて近い未来じゃなくて、もっと遠くの──40年50年先なんだろうなって思ってたんだ」
「確かに、50年先の未来には興味がありますね。気軽に宇宙に行ける時代になっているんだろうな、とか、ロボットがどれだけ人間に近づいているんだろうか、とかね」
 清四郎はほんのわずか、遠くを見るような目になって答えた。
「おまえならそうだろうな。俺はさ……そんなずっと先の未来なんて、夢見たりはしても実現させるためになにかしようなんて、考えたりはしない。でも、おまえは違う。宇宙に行くための手段なんかも、今の時点できっと考えてる」
「さて、それはどうでしょうねえ」
 清四郎は曖昧な笑みを浮かべている。つかみ所のない、茫洋とした笑み。一歩間違えば、狡猾と見られるほどの。
 いつもこいつは、心の中で何を考えているのか、俺達にも決して見せない。つきあいの長い野梨子だけは、こいつが見せるささいな表情から、何を考えているのか感じ取れるのだろうが。
 時々、魅録は清四郎の心の中を覗きたくなる。
「そういうおまえがさ──本当に、過去にまったく興味がないのか知りたい。戦国時代とか、幕末とか……そんな昔のことじゃないぜ。自分が生きてきた中で、後悔したことはないのか。過去に戻ってやり直したいことは全くないのか」
 過去をすっぱり断ち切って、前だけを見て生きている人間なんて、きっと、この世の中には一人もいないはずだ。悩みが一つもないような、有閑倶楽部のメンバーだってきっと。
 だが、清四郎は涼やかに笑った。そこには隠されたものは何もなかった。
「ないですねえ……魅録の期待に添えなくて申し訳ありませんが」
「そうかい」
 魅録は呟いて立ち上がった。テーブルに投げて置いた鞄を取り上げ、清四郎に背を向けた。
「読書の邪魔して悪かったな。先に帰るぜ」
「じゃあ、また明日」
 清四郎の別れの挨拶が聞こえた。だが魅録は答えず、後ろ手で部室のドアを乱暴に閉めた。 

 

 

 

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