猿の手
BY hachi様



〜5〜



  悲鳴を聞きつけた五代が、すぐに炎上したバスがどこから出発したか調べてくれた。

それは、やはり清四郎が乗っていたであろう、バスであった。

 

それを知った悠理は、半狂乱になって、悲鳴を上げ続けた。

 

―― おめでとう。これで、彼は絶対に他の女を見ないよ。

 

―― 君の望みは、叶えられた。

 

―― もう、何も望むことはないね。

 

違う。

 

違う。

違う。

違う。

違う。

 

望んだのは、清四郎の死ではない。

 

ただ、見て欲しかった。

 

悠理を見て欲しかった。

 

穏やかに、暖かな瞳で。

 

 

―― みっつの願いは叶えられた。

 

―― これで、君は幸せになれた。

 

―― 彼は、君に永遠の愛を誓ったまま、死んだのだから。

 

 

「・・・ちが・・・っ・・・」

 

悠理は部屋から飛び出した。

 

清四郎が約束した三時間は、とっくの昔に過ぎている。

 

でも、もし。

 

万が一にでも、間に合うのなら。

 

 

使用人の手を振り解き、玄関から飛び出す。

広い前庭。真っ暗な空。

裸足の足に、尖った小石が刺さった。

 

鋭い痛みにバランスを崩し、闇の中に倒れた。

 

 

―― 願いが叶ったのに、どうして泣くんだい?

 

顔を上げると、闇に溶けるようにして、黒衣の男が立っていた。

 

悠理の胸元で、ペンダントが微かな音を立てた。

 

 

 

 BY かめお様

 

  

悠理は涙を流しながら、男を睨んだ。

「・・・誰も、清四郎を殺してくれなんて、頼んでいない!!」

「でも、君は彼に他の女を見てほしくないと願った。だから、猿の手は、それを叶えた。」

それだけだよ―― 黒衣の男は、頬を歪めて笑いながら、そう付け加えた。

「だからって、命まで奪うことはないじゃないか!!」

握った拳が、石を掴む。悠理はそれをそのまま男に投げつけた。

しかし、石は男の身体を通り抜け、微かな音を立てて、地面に転がった。

 

「―― 君は、賢くもなく、粗雑で、気が短くて、単純だ。」

暗い瞳が、悠理を見下す。

「―― そして、女らしくない醜い身体をしていて、色気など、欠片もない。」

悠理はくちびるを噛んで、男を見上げた。

「財力しか誇るものがない、退屈な女。それが、君だ。」

男のくちびるが、くっ、と上がった。

「そんな女が、魔法の力なくして、好きな相手を手に入れられるはずがない。」

闇に染まった手が伸び、悠理の頬を掴んだ。

「好きな男の心を操って、嘘の愛を吐かせて、満足だったかい?」

爪が頬に食い込み、そこから鋭利な痛みが広がっていく。

「本当は君を愛していない男に抱かれて、満ち足りたかい?」

痛みは、胸にまで広がった。

「君の捻じ曲がった欲望に巻き込まれ、彼もさぞかし迷惑だったろうね。」

聞きたくなくても、聞こえてしまう、男の声。

それは、真実だから。真実だからこそ、聞きたくない言葉だった。

「君のように、身勝手で、我儘で、最低の女なんて、誰も愛さないのに。」

 

男は、正しい。

悠理は、賢くもなく、粗雑で、気が短くて、単純で、醜い身体をしていて、色気がなくて、財力しか誇るもののない、

身勝手で、退屈で、最低の女だ。

 

でも、そんな悠理でも、誇れるものが、ひとつある。

 

「・・・清四郎を、助けて。」

 

悠理は真っ直ぐに男を見た。

 

「あたいの命を上げる。だから、清四郎を、助けて。」

 

悠理が誇れる、ただひとつのもの。

 

それは、清四郎への想いだ。

 

男は呆れたように肩を竦めた。

「おやおや。みっつも願いを叶えたのに、まだ叶えたい願いがあるのかい?ずいぶんと我儘だねえ。」

悠理は、真っ直ぐな眼で男を睨んで、一語ずつ、はっきりと発音した。

「我儘なんかじゃない。」

清四郎が、生きていてさえくれれば。

頬を掴む男の手を振り払う。

「これは、取引だ。」

清四郎が、生きていていれば、あとは何も望まない。

「あたいの命と、清四郎の命を取り替えてくれ。」

 

闇に、風が唸る。

 

悠理は、男から眼を逸らさぬまま、胸元のペンダントを掴んだ。

力を籠めて、鎖を引き千切る。

摩擦に破れた皮膚が、鋭く痛んだ。

 

「あたいは、清四郎が生きていてくれさえしたら、それでいい。あたいのことを忘れたって構わない。

他の女を好きになっても・・・それで、構わないから。」

悠理は真っ直ぐに、黒衣の男を、見た。

「清四郎を、助けて。」

 

「・・・身代わりになろうと思うほど好きなら、どうして素直に心を言葉にしなかった?」

男の冷たい眼が、悠理を射た。

「君が素直に想いを伝えていたら、彼は死なずに済んだ。彼は、君の歪んだ愛情に殺されたんだ。

君は、臆病のあまり、愛する男を殺すほどの、大変な愚か者だ。」

悠理も、必死に男を見返した。

「分かってる。あたいは・・・愚か者だ。清四郎に告白する勇気もない、臆病者だ。」

「そう。君は、愚かで、臆病だ。自分に自信がないから、彼に好かれないと信じていた。だから、友人の長所に

憧れて、卑屈になった。」

 

明晰な頭脳。女らしい理知。

グラマラスな肉体。女っぽい色艶。

 

清四郎に愛されない理由を、魅力的な友人たちのせいにして、現実から眼を背けた。

自分は野梨子ではない。

自分は可憐ではない。

悠理は二人のように魅力的ではないから、清四郎に愛されないと信じていた。

 

「そうだよ。あたいは、大事な友達に嫉妬していた。自分にはない魅力を持った二人が、羨ましくて、

仕方なかった。」

 

だけど。でも。

 

「自分に自信がなかったから、素直に好きだと言えなかった。でも―― でも。」

 

黒衣の男が、闇を孕んで、大きく膨らむ。

 

それでも悠理は、男を睨むのを止めなかった。

 

「清四郎を想う気持ちは、誰にも、負けない。」

 

 

 **********

 

 

  

悠理は、自分に自信がなかった。

 

少年のような体躯、薄い胸。馬鹿で、単純で、我儘で、最低の、女。

 

だから、清四郎から愛されるはずはないと、最初から諦めていた。

 

そんな考えかたをしていたから、余計に卑屈になって、余計に自信を失くしたのだ。

 

 

「清四郎に、罪はない。すべては、あたいが悪いんだ。だから、清四郎を生き返らせて。」

 

悠理は立ち上がった。

 

眼には、大粒の涙を湛えたまま。それでも、必死に男を睨んで。

 

「もう、清四郎に、愛して欲しいなんて、望まない。清四郎がいつもの通りに微笑んでいれば、それでいい。

あたいの命で運命が元通りになるなら、地獄にでも、どこにでも、連れて行け!!」

 

悠理は、千切ったペンダントを、男に向かって投げつけた。

 

きらり。ペンダントが、薄い明かりを反射した。

 

瞬間。

 

闇が、膨らんだ。

 

 

 

 

暗闇の中、悠理は立ち尽くしていた。

 

右も、左も、天も、地も、闇だ。

 

もう二度と、光差す世界へは、戻れない。

 

悠理は涙を流しながらも、満足げに微笑んだ。

 

清四郎が生きていてさえくれたら、それでいい。

 

自分の命と引き換えにしても、彼には生きて、幸せになって欲しかった。

 

 

「・・・悠理?」

 

聞き慣れた声。

 

悠理は弾かれたように振り返った。

 

「せいしろ・・・?」

 

闇の中に、清四郎が佇んでいた。

 

 

悠理は何も考えないまま、清四郎の胸に飛び込んだ。

 

 

 **********

  

  

精悍な顔に触れ、あたたかさを確かめる。

胸に耳を押し当てて、力強い鼓動を確かめる。

 

彼が生きていることを確認し、ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、今度はどうして彼がここにいるのか、

不安になった。まさか、彼まで暗黒に呑み込まれたのではないか。

「清四郎!どうしてここに!?」

彼を助けるために命をかけたのに、それが無駄に終わったら、それこそ死んでも死に切れない。

「どうしてって・・・約束したじゃありませんか。」

清四郎は呆れたように片眉を吊り上げて、悠理を見下ろしている。

「まさか、僕に食べられるのが嫌になって、逃亡を図ろうといるのですか?」

いつもの声。いつもの皮肉な笑顔。

いつも通りの彼を前にして、悠理は混乱した。

「だって、清四郎が乗ったバスが事故に巻き込まれて、高速道路で炎上して・・・」

悠理ははっとして、清四郎の身体をあちこち触りはじめた。

「怪我してない?火傷は?平気なの?」

「怪我も、火傷も、していませんよ。」

何となく、不機嫌な声。

「何せ、バスに乗り遅れたんですから。」

 

 

 

 

悠理はぽかんと口を開けたまま、凝固している。

庭園のライトに淡く照らされた顔は涙に濡れ、瞼は腫れている。

誰が見ても、彼女がずっと泣いていたのは明らかだった。

清四郎は彼女を見つめ、深々と溜息を吐いた。

「事情はだいたい呑み込めました。僕が乗るはずだった高速バスが事故に巻き込まれて、炎上したのですね?

僕の携帯電話は電池が切れてしまっているから、連絡も取れない。そして、悠理は、僕が死んだと思い込み、

大泣きしていた。」

清四郎は、やれやれと苦笑してから、悠理をそっと抱きしめた。

「・・・馬鹿ですね。僕は、生きていますよ。」

途端に、強張っていた悠理の身体から力が抜けた。

「・・・生きて、いる?」

「ええ。もちろん。」

「本当に?」

「死んでいたら、こうやって貴女を抱きしめられませんよ。」

 

次の瞬間、悠理は清四郎にしがみついて、おんおんと泣きはじめた。

 

 

清四郎は、彼女が泣き止むまで、華奢な身体を抱きしめていた。

悠理に愛されているという確信に、充足感を覚えながら。

 

 

 

 

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