〜6〜 部屋に戻ると、悠理はすぐに小石で傷ついた足の裏の手当てを受け、そのままベッドに運ばれた。 しかし、いつもならスプリングの上に放り投げられ、すぐに圧し掛かられるのだが、今日はベッドの端にそっと 腰掛けさせられた。その隣に、清四郎も腰を下ろす。 彼が隣にいるのに、それが信じられない。願望が見せる幻のような気がする。 でも、幻だったとしても、それを確かめる勇気はない。 清四郎が幻なら、ずっと夢の中にいよう。そう思った。 「・・・ペンダントは、どうしたのですか?」 悠理は慌てて自分の首を手で隠した。 ペンダントは、引き千切って、黒衣の男に投げつけた。 失くしたと誤魔化したくても、首筋についた擦過傷が、そうでないことを証明している。 「聞こえなかったのですか?ペンダントはどうしたのかと尋ねているのですよ。」 声音は優しかったが、それは、明らかに詰問だった。 「・・・あれは・・・その・・・」 「話して、くれますね?」 話せば、嫌われる。 悠理は口を噤んだまま、俯いた。
俯いた頭を、大きな手が撫でる。 「何を告げようが、僕は貴女を嫌いにはなりませんから。」 そっと、抱きしめられる。 「だから―― 悠理が苦しんでいた理由を、話してください。」
悠理の眼から、大粒の涙が零れ落ちた。
「・・・ごめんなさい・・・あたい、清四郎に、酷いことをした・・・」
自分の欲望を叶えるため、清四郎を死なせてしまったと後悔したときの気持ちを思えば、彼に嫌われるほうが、 何倍もマシだ。 清四郎が生きていてくれれば、あとは何も望まないと思ったのは、真実の気持ちだった。
悠理は嗚咽しながら、彼にすべてを告白した。
黒衣の男に唆されて、清四郎に催淫剤を盛って、肉体関係を結んだこと。 猿の手に、清四郎との仲を望んだこと。 ふたつめの願いとして、清四郎の心を欲したこと。 みっつめに、清四郎が他の女を見ず、ずっと悠理だけを愛してくれるよう、願ったこと。
その結果―― 清四郎を、死に追いやろうとしたことを。
「・・・ごめ・・・ごめんなさい・・・あたい、どうしても・・・清四郎が、欲しくて・・・」 何度謝ろうが、許されることではない。 悠理は、清四郎の人格を無視し、挙句に命まで奪おうとしたのだから。 きっと、呆れられて、蔑まれて、嫌われるだろう。 でも、後ろめたさを背負ったまま、彼との関係を続けるなんて、できなかった。
すべてを話し終えても、清四郎は、何も言おうとしなかった。
悠理は込み上げる嗚咽を堪え、頑張って笑顔を作った。 「本物の恋愛じゃなかったけど、清四郎とこんなふうになれて、本当に嬉しかった。今まで、本当に有り難う。」 それだけ言うのが、やっとだった。 ふたたび涙が溢れてきて、悠理は慌ててベッドから立ち上がった。
清四郎と愛し合えた間は、本当に幸せだったから、泣き顔で別れたくはない。
逃げ出そうとした手を、清四郎が掴んだ。
「・・・この、馬鹿娘。」
無理矢理に引き戻され、ベッドに押し倒される。 ぐい、と顔が近づく。 黒曜石の瞳に、泣き顔の悠理が映っていた。
「その、黒い服の男は、悠理を、身勝手で、我儘で、馬鹿で、粗雑で、気が短くて、単純で、色気の欠片もない 身体をした、最低の女だと、そう言ったのですね?」 清四郎から言われると、余計に辛くて、さらに涙が溢れた。 図星だからこそ、反論ができなくて、口惜しい。 悠理は横を向いて、くちびるを噛んだ。 「付け加えるなら、無鉄砲で、無計画で、自己中心的で、動物的で、乱暴者で、泣き虫で、意地っ張りで、 じゃじゃ馬で、手に負えない女です。」 好きな男の口から聞くには耐えない、暴言の数々に、悠理は泣き出しそうになった。 意地悪にも、清四郎が、悠理の顔を覗き込んでくる。 「まったく、危なっかしくて、とてもじゃありませんが、眼が離せません。」 穏やかな、黒い瞳に、悠理が映る。
「・・・だから、余計に愛しくて堪らない。」
問答無用のくちづけ。 いつもより激しく口腔内を蹂躙され、涙と一緒に意識まで消えそうになる。
くちびるが離れ、くったりと弛緩した悠理を胸に、清四郎が呟く。 「悠理。僕が、魔法で操られるような男に見えますか?」 朦朧とした意識の中で、何とか首を横に振る。 清四郎は、満足げに微笑むと、悠理の顔を覗き込んだ。 「この僕を、見縊るんじゃない。」 真剣な、眼差し。 「僕は、誰にも操られない。」 低い、低い声。
「悠理を愛したのは、僕自身だ。」
清四郎は、悠理と睦み合いながら、繰り返し、繰り返し、愛していると呟いた。
まるで、悠理にかけられた魔法を解くように。
「黒い服の男の正体は、悠理自身ですよ。」
突拍子もない台詞に、悠理は驚いて彼の胸から顔を上げた。 「すべては、悠理の罪悪感が生んだ、幻です。」 清四郎は、悠理の臀部に手を這わせながら、説明をつづけた。 「僕に催淫剤を盛って関係を持とうと思いついたものの、良心は痛むし、勇気もないから、なかなか実行でき なかった。でも、心の奥では、どうしても諦め切れなかった。良心と願望がぶつかり合い、その結果、悠理の 心の中に、黒い服の男が生まれたのですよ。」 「そんな・・・だって、あたいは、実際にその男からペンダントを・・・」 「原型となった男は、実在しているのでしょう。でも、そのあとの男は、すべて悠理が作り上げた幻に違いありま せん。」 清四郎の掌が方向転換して、背中を這い上がる。 「悠理は、罪悪感が生み出した幻に、苛まれていたのですよ。」
あの男が―― 幻?
とても信じられないけれど、考えてみれば、その通りかもしれない。 あの男は、悠理の中にいた。 だから、悠理が眼を背けていたい真実を、悠理に突きつけ、苛めた。
今思えば、身体だけの関係であったときから、清四郎の行動の端々に、悠理への好意が見え隠れしていた。 清四郎の気持ちが徐々に悠理に傾いていくのが分かったから、余計に罪悪感を抱き、勝手に自分自身を 追い詰めていったのだ。
すべては、自分が作り出した、幻だったのだ。
清四郎が、くすくすと笑い声を漏らした。 「悠理に感謝しなくてはなりませんね。貴女が良心に従って、催淫剤を使うのを止めていたら、僕らは友達のまま で終わっていたでしょう。」 「何だか、卑怯者って言われている気がする。」 悠理が頬を膨らますと、清四郎は声を立てて笑った。
いきなり腋の下に手を差し込まれ、ひょいと持ち上げられて、シーツの上に座らされた。 清四郎も上半身を起こし、悠理と向かい合って座る。 「どうして僕がバスに乗り遅れたか、教えてあげましょう。」 そう言うと、彼はベッドの下に散乱した服を探り、ポケットから小さな箱を取り出した。 「バス停の近くに、手作りのアクセサリーを売る店がありましてね。そこで買い物をしている間に、バスから置い ていかれたのですよ。でも、乗り遅れたお陰で、僕は事故に遭わずに済みました。」 清四郎は、微笑みながら、箱を開けた。
箱に入っていたのは、四葉のクローバーを模した、ペンダントだった。
「悠理には、猿の手より、こちらのほうが似合いますよ。」 清四郎はペンダントを手に取り、悠理の首にかけた。 そして、優しく微笑む。
「僕の命を救ったのは―― 悠理、貴女です。」
悠理の胸元で、幸福を招く四葉のクローバーが、誇らしげに輝いた。
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緑濃い歩道。 可憐は自慢の巻き毛を靡かせながら、颯爽と歩いていた。 通り過ぎる男たちが、眩しげに可憐を振り返る。それは、最高の快感を得られる、極上のひとときである。 女は、男の視線を浴びて、美しくなる。 それこそが、可憐の信念であった。
歩道のあちこちに、アクセサリーを売る店が出ている。 しかし、可憐にとって、路上で売られるアクセサリーなど、宝飾品のうちに入らない。
「お嬢さん。願いを叶えてくれるペンダントは如何です?」
その声に、可憐の足が止まった。
振り返ると、黒い服を着た男が、路上に安っぽいアクセサリーを並べていた。
「片思いの相手と、両思いになりたいと思わないかい?」 男の台詞に、可憐はふんと鼻を鳴らした。 「この私が、嘘っぱちのおまじないグッズに頼るような、情けない女に見える?恋はね、自分の力で勝ち取るから 面白いのよ。」 ばさりと髪を払い、男を見下す。 「それにね、路上で売ってるようなペンダントなんて、恥ずかしくってつけられないわ。安物のアクセサリーをつけ て喜ぶのは、慣れない恋に舞い上がってる馬鹿だけよ。」 可憐の脳裏には、最近、すっかり馬鹿なカップルと化した悪友たちの姿が浮かんでいた。
大財閥の令嬢ともあろう者が、恋人から贈られたといって、安物のシルバーアクセサリーを嬉々として身につける なんて、可憐からしてみれば、狂気の沙汰である。 財閥令嬢に、街角のアクセサリーショップで購入したペンダントを贈るほうも、どうかしていると思う。 まあ、可憐には関係のない話だし、本人たちが幸せなら、それで構わないが。
そこで回想をストップさせ、可憐はきつい視線で黒衣の男を見下した。 「とにかく、話しかける相手を、間違えないでちょうだい。」 吐き捨てるようにそう言うと、颯爽と歩き出し、二度と振り返りはしなかった。
BY ネコ☆まんま様
男はグラマラスな後姿を見送りながら、くすくすと声を殺して笑った。
まさしく、人の心は千差万別。 人それぞれが特有の光を放ち、絡み合い、複雑な模様を織り成していく。 一瞬として、同じ模様にはならない、不可思議で、壮大な万華鏡である。 いくら覗こうが、飽くことなど、決してない。
―― これだから、人間と関わるのを止められない。
男は黒い帽子の下で微笑みながら、次の獲物が現われるのを、静かに待ち構えていた。
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あとがき
またもや長い話を描いてしまいました。読んでいただいた皆さま、さぞかし眼が疲れられたことでしょう。
「猿の手」は、またの名を「麗さんをエロの奈落へ引き戻そう妄想」といいます。なのに、何故かワタクシまでエロの奈落へ飛び込んでしまいました。(笑) 描く前の目標は「淫靡ホラー」だったのですが、跳躍の時点で失敗し、着地はあらぬ方向へ。淫靡というよりただのエロ、ホラーというにはぬるい仕上がりでございますが、少しでも気に入っていただければ幸いです。
ここで驚愕の真相をこそっとバラしますと、この話は、作者の意見が入る余地もなく、インサイダー取引によってフロさまのもとへ引き取られております。どんな取引かは、あまりにも醜いためにお教えできませんので悪しからず。(爆)