水底 ーみなそこー 

                     BY hachi様

 

 

 

 2.

 

 

その夜も、遅くまで抱き合っていた悠理たちは、日もだいぶ高くなってから目覚めた。

流石に二晩連続で朝まで睦み合うと、腰がだるくて仕方ない。悠理がそれをそのまま伝えると、清四郎も実は同じだと言う。何だか可笑しくて、二人で声を上げて笑い、そのあと一緒に風呂に入って、湯船の中で、互いの腰を交代でマッサージした。

バスローブ姿のままブランチを楽しみ、食後は、ベッドでゴロゴロしながら一緒に時間を過ごした。

 

二人がようやく人並みの活動をはじめたのは、昼もだいぶ過ぎた頃だった。

 

「とりあえず、散歩でもしますか?」

清四郎の提案を、却下する理由はひとつもなかった。

 

緑濃い湖畔の道を、目的もなくブラブラしているうちに、悠理の野生の本能に火がつき、木登りをしたり、虫を追いかけたり、いつの間にか悠理が清四郎を引っ張り回す格好となった。清四郎は文句を言いながらも、笑顔で悠理を見守ってくれている。悠理が大好きな漆黒の瞳には、肌を重ねているときとは違う、穏やかな光が湛えられていた。

 

清四郎を精一杯に愛して、清四郎からたくさん愛されて。

悠理は、身も、心も、幸せに満たされていた。

 

そして、その幸せは、ずっとずっと続くものだと、信じていた。

 

 

クタクタになるまで遊んで、ようやく帰路についたときには、釣瓶落としの秋の陽は、もう山の端に差しかかろうとしていた。

 

彼岸花が咲き乱れる、湖畔の道。

二人手を繋いで、並んで歩く。

夜は青一色に沈む景色も、今は夕陽を浴びて、橙色に染まっている。

湖も、道も、互いの顔も、橙色に染まってる。

ただ、彼岸花の朱だけは、毒々しいまま、景色から浮かび上がっていた。

 

別荘まであと少し、というとき。

ふう、と、生温い風が吹いた。

 

生温いはずなのに、何故か、悠理の腕に鳥肌が立った。

 

 

あっ、と清四郎が声を上げて、駆け出した。

離れた手が温もりを失い、言い知れぬ不安に襲われる。

 

「大丈夫ですか!?」

清四郎が、彼岸花に手を伸ばす。

違う―― 彼岸花の中に、人が倒れているのだ。

 

ゆらり、と彼岸花が揺れ、赤い残像が尾を引く。

残像ではない。赤い服を着た女性を、清四郎が抱き起こしたのだ。

 

女性は、どうやら怪我をしているようで、首の付け根を押さえて、呻いている。

白い指の隙間から、赤い液体が零れ落ち、手首を伝って、肘から滴った。

悠理には、何故か、それが彼岸花が流した血のように思えて、仕方なかった。

彼岸花の茎を折れば、中から滲むのは、白い汁だ。赤いはずはないと分かっているのに、どうしてそう思うのか、自分でも理由が分からなかった。

 

「どうしたのですか?何があったか、覚えていますか?」

清四郎の呼びかけに、女性が顔を上げた。

その、妖しい美しさに、悠理は息を呑んだ。

 

艶やかな黒髪。抜けるように白い肌。長い睫毛に縁取られた、切れ長の瞳。上品な口元。

まるで、雛人形だ。そう、どこか硬質的な表情も、人間というより、人形に近い。

 

「よく分かりません・・・歩いていたら、いきなり襲われて・・・」

女性は、そこまで話すと、苦しげに呻いた。

それを見た清四郎が、秀麗な眉を顰める。

「早く止血したほうがいいですね。こんな田舎町で救急車を待っていたら、いつになるか分からない。とにかく別荘に戻って、手当てをしましょう。」

 

清四郎は、よろめく彼女を抱きかかえるようにして、別荘の門扉を潜った。

悠理は、恋人の後姿を追いながら、不安に震える胸を、両手で押さえつけた。

 

理由なんて、分からない。

 

分からないけれど、清四郎が消えてしまいそうな気がしてならなかった。

 

 

清四郎と女性が、別荘の中に入る。

悠理も後に続き、内側から扉を閉めようとした。

 

 

ぽちゃん・・・

 

扉が閉まる寸前、はっきりと、水が滴る音が聞こえた。

 

悠理は、はっとして、閉まりかけていた扉を、開け放った。

 

暮色に染まった景色。庭を埋め尽くして咲き乱れる、真っ赤な彼岸花。

悠理の眼は、乱立する茎の下に、身をくねらせながら逃げ込む蛇の姿を、はっきりと捉えた。田舎なのだから、庭に蛇がいても不思議ではないし、いちいち怯えていたら、こちらの身が持たない。

だけど、そのとき感じた恐怖は、本能的なもので、頭が怖いと思うよりも先に、身体が勝手に動いて扉を閉めていた。

 

見れば、腕にびっしりと鳥肌が立っている。

それに薄気味悪さを感じながら、悠理は慌てて清四郎がいる部屋へと駆けていった。

 

 

 

 

女性は、緋砂、と名乗った。

緋砂は、この辺りの生まれだと言う。だが、幼い頃に一家が離散し、遠い街へ引っ越さねばならなかった。彼女は、親類縁者は誰も残っていないけれど、幸せだった過去を懐かしむため、今日、久々にこの地へと訪れたのだと説明した。

そして、突然の災禍に巻き込まれたのだ。

 

「いきなり殴られたので、何も分からないんです。」

首に白い包帯を巻いた緋砂は、弱々しく頭を左右に振った。

金品どころか、荷物もすべて奪われ、途方に暮れる姿に、悠理は心打たれた。

「まったく、酷いことをするヤツがいるもんだな。きっと、犯人はあいつらだよ。」

悠理の脳裏に、人のバスローブ姿を見て、下卑た笑みを浮かべていた若者たちの姿が浮かんだ。荷物だけで、身体まで狙われなかった緋砂は、幸運だったのかもしれない。

 

手当ても無事に済み、いざ警察に通報しようとしたとき、外で雷が轟いた。

 

「うわ!」

地面を揺るがす轟音に驚き、悠理は隣の清四郎にしがみついた。

「どうやらすぐ近くに落ちたみたいですね。」

揃って窓の外に眼をやると、ちょうど大粒の雨が硝子を叩きはじめたところだった。

 

雨は、あっという間もなく、本降りになった。

 

夕闇と厚い雲に覆われた空を見上げ、緋砂が呟いた。

「・・・今日は、止まないわ。」

雲の中に閃光が走り、また、雷鳴が轟く。

夕間暮れを見つめる緋砂の白い顔が、雷光に、かっ、と浮かび上がった。

 

悠理には、何故か、彼女が微笑んでいるように見えた。

 

 

受話器を耳に当てていた清四郎が、溜息を落とした。

「駄目だ、通じません。きっと先ほどの落雷が原因でしょう。」

湖畔に一軒だけ、ぽつんと建つ別荘である。最寄の集落からもかなり離れているし、携帯電話の電波も届かない。近くの民家までは、徒歩で25分ほどだが、土砂降りの雨の中では、その程度の距離すら歩くのも困難だ。

「仕方ありませんね。雨が小止みになるまで、しばらく待つとしますか。」

清四郎は受話器を置いて、緋砂に向き直った。

「どこの誰ともつかぬ輩の別荘にいるのは不安でしょうが、僕たちは人畜無害ですし、雨が小止みになったらすぐ警察に連絡しますから、心配されなくても大丈夫ですよ。」

「いいえ、心配などしていないわ。貴方は、いいひとだと分かっているから―― 」

緋砂が微笑む。とても上品な微笑だ。

「それに、急ぐ旅でもないし、まだ日も暮れたばかりですもの。夜が更けるまで、まだまだ時間もあるでしょう?」

そして、緋砂はゆっくりと振り返って、悠理を見た。

「貴女とも、ゆっくりお話してみたいわ。」

 

切れ長の瞳が、す、と細くなる。

「ねえ、良いでしょう?」

妖艶な笑みに、悠理はたじろぎ、一歩、退いた。

 

窓の外で、また、雷鳴が轟いた。

 

 

 

 

幸いにも、食料はたっぷりとあり、ひとり増えたくらい、どうでもなかった。襲われたショックが強かったのか、緋砂がほとんど食事に手をつけなかったせいもある。もっと食べるように勧めても、緋砂は、お腹が一杯だから、と言うだけで、料理に箸をつけようともしないのだ。結局、悠理が二人ぶんを平らげた。

 

食事が済んでも、雨はなかなか止まなかった。

 

三人はソファに座り、暇潰しがてら、色んな話をした。

緋砂にせがまれ、二人の馴れ初めを話したときは、ちょっと恥ずかしかったけれど、清四郎が自分の恋人と宣言できるのは、やはり誇らしい。清四郎は、言葉の足りない悠理を、さり気なくフォローし、色々と補足してくれる。

そんな清四郎と悠理を見て、緋砂は、羨ましい、と何度も繰り返した。

「とても仲が良いのね。幸せいっぱいって感じで、とても素敵だわ。」

面と向かって誉められ、嬉しくなった悠理は、馬鹿みたいにはしゃいだ。

 

緋砂が暗い瞳をしていることに、少しも気づかずに―― 

 

 

話は、いつの間にか赤姫湖のことになった。

地元出身の緋砂は、清四郎も知らない話を知っていた。

 

「赤姫湖の名は、ここに踏鞴場があったことに由来しています。」

「タタラ?」

悠理が問うと、緋砂は微笑みながら、昔の製鉄所のことですよ、と補足してくれた。

「湖に注ぐ川から、朱砂―― つまり、砂鉄が取れました。だから、湖にも、朱砂を連想させる色をつけたの。」

「ああ、小学生の頃、磁石を校庭の土に突っ込んで、よく砂鉄を取っていたっけ。」

悠理の他愛もない話に、清四郎の薀蓄が入る。

「太古の昔から、鉄は貴重な資源でしたからね。スサノオノミコトの名の由来は、朱砂の王、という説もあるほどですから、砂鉄は莫大な富を産む貴重な資源だったのでしょう。」

 

「―― この湖に纏わる伝説にも、砂鉄が絡んでいるんですよ。」

 

緋砂の声は、窓を叩く雨音にも、決して掻き消されない。

 

「この湖のほとりには、踏鞴を踏むことで糧を得る一団が暮らしていました。彼らは穏やかな日々を暮らしていました。ですが、戦乱の世になり、平穏は乱されました。近隣の豪族たちが、鉄資源を手中に納めるため、踏鞴場を巡って、争うようになったのです。」

 

遠くで、雷鳴が轟いた。

 

「踏鞴場の長には、ひとりの娘がおり、娘には、将来を誓い合った恋人がいました。なのに、踏鞴場を狙う豪族が、娘との強引な縁談を持ち掛けたのです。もちろん長は断りました。でも―― その豪族を治めていた領主が、諦めるはずもありません。領主は、娘の恋人を捕らえ、娘を脅しました。恋人を助けたければ、自分の側室になれ、と。娘は、恋人と、踏鞴場を守るため、自らの身を投げ出しました。なのに、なのに―― 」

 

緋砂は、言葉を詰まらせた。

 

「―― 恋人は、殺されました。」

 

緋砂の白い顔が、轟く雷の閃光に浮かび上がる。

 

「娘は、恋人を救えなかった自分を呪い、穢れた我が身を呪い、自分を騙した領主を呪いました。そして、世界のすべてを呪いながら、湖に身を投げたのです。娘は湖に沈み、やがて、恨みのあまり湖の主となりました。」

 

かっ、と、秋の雷が、鳴った。

 

「・・・その後、主となった娘の呪いか、この一帯に、流行り病が蔓延し、豪族の一族郎党は死に絶えました。そして、いつしか砂鉄も取れなくなり、踏鞴場の人々も離散しました。残ったのは、湖だけ。そう、人ならぬ身となった娘が潜む、この、湖だけ―― 」

 

緋砂が、虚ろな眼を湖に向ける。

瞬間、悠理の身体に、鳥肌が立った。

 

「ねえ・・・」

緋砂の白い顔が、こちらを向く。

「我が身を呈して恋人を守ろうとした娘は、弱いかしら?」

 

雷鳴が轟く。

緋砂の眼が、蛇のように輝く。

 

「踏鞴場の人々を慮って、恋人と逃げなかった娘は、愚かかしら?」

 

しゅ、と出た舌が、二股に割れているのは、気のせいだろうか?

 

 

「お前も―― 思い知るがいい。」

 

瞬間、風が、鳴った。

 

 

 

 

気を失っていたのだろう。

目覚めたとき、悠理は絨毯の上にいた。

 

痛む頭を押さえながら、身を起こす。

 

「―― 誰が、弱いと?」

 

涼やかな声に顔を上げ、悠理ははっと息を呑んだ。

 

開いた窓。いつの間にか、雨は止んでいた。

暗い空を背景に、清四郎を抱いた緋砂が、こちらをじっと見ていた。

 

「清四郎!!」

清四郎は意識を失っているのか、くったりとしたまま、動かない。

 

「お前に、分かるのか?理不尽な暴力を受ける苦しみが。愛するひとを思いながら、好きでもない男に身を委ねればならぬ辛さが。」

 

風が吹き、緋砂の赤い服が、ぱあっ、と膨らんだ。

 

「どうしようもない宿命が分かるか?己を殺さねばならぬ苦悶が分かるか?」

 

緋砂の服が、風を孕んだ途端、朱の着物に変化した。

 

「わたくしには、守らねばならぬ民がいた。我が身ひとつを犠牲にすれば、何十、何百という民の、平穏が守られる。そのために―― 好きでもない男に身を捧げたわたくしが弱いというのか?そのような戯言を聞くために、湖に身を沈めたのではない。」

 

緋砂と清四郎の身体が、真っ暗な中空に浮いた。

 

「わたくしを愚弄し、我が眷属を傷つけた罪は、決して消えぬ。」

 

「清四郎!!」

 

悠理が駆け出そうとした、刹那。

 

清四郎を抱いた緋砂は、湖へと消えた。

 

 

訳が分からなかった。

しかし、清四郎が攫われたのは、確かだった。

 

悠理は二人が消えたデッキに飛び出し、湖を覗いた。

そこには暗闇が広がっているだけで、視界は1メートルもない。

闇を覗いて舌打ちし、ふたたび室内へ戻る。

 

言い知れぬ不安が胸の中で渦を巻く。

緋砂の話は、途中から、主観に変わっていた。

まさか。

まさか―― 

 

全身に、鳥肌が立つ。

 

まさか、緋砂が、伝説の姫だったら?

 

彼女は、悠理の発言に怒っていた。

 

「お前も、思い知るがいい。」

 

緋砂の言葉が、頭蓋の奥でこだまする。

 

悠理は、弾かれたように駆け出した。

 

 

階段を駆け下り、玄関に向かう。

清四郎が湖に攫われたなら、まだ間に合うかもしれない。

 

玄関扉にかかっていた閂を開け、外に飛び出そうとした、その瞬間。

 

身体じゅうに、何かが巻きついた。

 

 

 

 

開いた玄関扉の向こうに、あの若者たちがいた。

若者たちは、立ち竦む悠理を見て、醜悪な笑みを浮かべた。

 

「へえ、自分から玄関を開けてくれるなんて、俺たちも歓迎されているんだな。」

「昨日の礼を、返しにきたぜ。」

「あれ?この姉ちゃん、竦んでいるぜ?もしかして、あの男、いねえんじゃねえか?」

 

悠理は若者たちに向かって、叫ぼうとした。

しかし、声が出なかった。

声だけではない。

身体も、まったく動かない。

 

若者たちは、それぞれ、ナイフや鉄パイプを持っていた。

仕返しをしに来たのだと、すぐに分かった。

だが、どうしても身体が動かない。

 

悠理は自分の身体を見下ろし、悲鳴を上げそうになった。

 

手や足、そして、胴体に、何匹もの蛇が絡んでいたのだ。

 

 

蛇に束縛された悠理は、抵抗ひとつ出来ぬまま、若者たちの手によって、別荘の奥へと運ばれた。

そして、清四郎と激しく愛し合ったベッドに、簡単に放り投げられた。

 

「あの男、いねえみたいだな。」

「ちょうどいいや。今のうちに、この女を玩具にしてやろうぜ。」

 

男たちが、情欲を宿した眼で、身動きが取れない悠理を見下ろした。

 

何をされるかは、一目瞭然だ。

悠理は必死にもがこうとした。

が、身体に巻きついた蛇たちは、決して束縛を緩めない。

それどころか、もがけばもがくほど、悠理の身を締めつけるのだ。

 

「・・・い、や・・・」

必死に搾り出した声も、性を排出しようとする男たちにしてみれば、己を昂ぶらせる要因にしかならなかったようだ。

「この女、ビビって声も出ないみたいだぜ。」

「可愛いじゃねえか。じゃあさ、俺たちが声を出させてやろうぜ。」

「いいなあ、思いっきり啼かせてやろう。」

男たちの手が、一斉に悠理へと伸びた。

 

 

あっという間に裸に剥かれ、清四郎にしか見せたことのない肌を、男たちに晒す。

 

男たちは、悠理の裸体を見て、へらへらとだらしなく笑った。

悠理はあまりの屈辱に、涙を流したが、蛇に縛られた身体はぴくりとも動かない。

 

―― お前も、思い知るがいい。好きでもない男に、身を委ねる苦しみを。

 

頭の中で、緋砂の声がこだました。

 

「案外、旨そうな身体をしているじゃねえか。」

「突っ込んでみないと、締まり具合までは分からねえぜ。」

「おっしゃ、まずは俺からだ。」

男のひとりが、楽しげに手を上げる。

そして、着ていたシャツを脱ぎ、ズボンと一緒に下着をずらし、ベッドに乗り上がった。

 

薄気味の悪い手が、悠理のウエストを撫でてから、臀部に滑る。

そして、膝を持つと、思い切り、左右に開いた。

秘めた花が、男たちの眼に晒される。

 

悠理は、声にならない悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 NEXT

TOP

 

作品一覧

お宝部屋TOP