作 ことこ様
壱
「はぁ、とりかえたいだがや・・・」 万作大納言は、田舎の荘園育ちの訛まる出しでつぶやいた。 彼の悩みの種は、4歳になる娘と息子のことである。 二人は腹違いとはいえ、それは美しいお子達であった。 その生来の見目麗しさと家柄のよさで、普通ならば彼らには幸せな未来が約束されているはずだった。ところが彼らには大きな問題があったのだ。 姫君の悠理は、それは元気な姫君であったが、その度が過ぎていた。屋敷の中で女房達とままごと遊びなどをするのを嫌い、同じ年ごろの男の子達と外で遊ぶのが好きであった。きれいな着物には全く興味がなく、男の子と同じ動きやすい格好をしたがった。最近では、蹴鞠も覚え始め、その腕前はかなりのものだという。もし男の子であったならば、将来はそれはすばらしい公達になるであろう。 一方、若君の美童は、逆に外で泥だらけになって遊ぶのを大変嫌がる子であった。それよりも、屋敷の中で女房にかこまれ、蝶よ花よとおだてられ、気の効いた和歌作るほうが好きであった。自分の美貌を大変自慢に思っており、外で遊んで白い肌がやけたり、美しい髪の艶がなくなったら大変だと思っていた。そしてまた、彼を産んですぐに亡くなってしまった母の代わりに、悠理の母である百合子が、彼をわが子のように可愛がっており、きれいな着物などちっとも着ない悠理よりも、美童を飾り立てるようになっていた。色白で美しく整った顔立ちの美童は、華やかな衣が、並みの姫君よりも良く似合った。 「ならばとりかえてしまったらよろしいのよ。」 「悠理は、その辺りの公達よりもよっぽどすばらしい公達になりますわ。美童だって、それはそれは美しいじゃありませんか。」 「だけど、母ちゃん、もうすぐしたら人前にもでなきゃならんし、ゆくゆくは宮中にも出仕せにゃならんだよ。そうなると・・・」 「そんな先の話!今はよろしいじゃないですか!美童の襲の色目を選ぶのをどれだけ私が楽しみにしているかご存知でしょう!美童もよろこんでいるんですし、わたくし、絶対にやめませんからね!」 百合子はすごい剣幕で宣言した。万作大納言は彼女に頭が上がらない。しばらくは彼女の言うとおりにするしかなかった。 ・・・それから10数年後、二人はいまだ、幼い頃の入れ替わった状態のままであった。世間では悠理のことを若君、美童のことを姫君と信じて疑わなかった。悠理は都いちの蹴鞠と弓の名人と誉めたたえられ、いつも女房達の歓声を受けていた。美童の美しさも評判で、ぜひゆくゆくは妻にと言い出すものまで現れ始めた。そんな二人の様子が宮中で話題にならないはずはない。とうとう、悠理にはすぐに元服を行った後、宮中に出仕を、美童には裳着を行い、帝の姪である女東宮に仕えるようにとのお達しが、帝から出てしまった。万作大納言は頭をかかえた。帝じきじきの命のため、断ることはできない。 「困った、困っただがや〜!」 屋敷に帰ってきて半狂乱になっている万作のもとへ、悠理がやってきた。 「父ちゃん!あたい元服して出仕できるのか!はやく出仕したいじょ〜!」 「悠理、何を言ってるんだがや!お前は本当は女なんだがや。宮中に出仕するようになれば、いつかはばれてしまうだよ!もしそれがばれたら、我が家はおしまいだ〜」 「大丈夫だよ、父ちゃん!あたいうまくやるしさ。だいたい魅録は同い年なのに、先に元服しやがって、遊びに来るといっつも宮中の話するんだ。あたいも行ってみたくって行ってみたくって。いっぱい宴があるんだよな!」 悠理と宰相の君・魅録は遊び友達であったが、彼ははやばやと元服し、宮中に出仕していた。彼ももちろん悠理が女だということを知らない。本当のことを知っているのは、屋敷のほんの一部の者だけであった。 二人が言い争っているところへ、サラサラと衣擦れの音をさせ、美童がやってきた。一般的な女性よりもやはり背は随分高かったが、紅の表着が良く似合っており、流れるような長い髪は、悠理でさえはっとするほど美しい。 「父さん、話は聞いたよ。僕なら大丈夫。ちゃんと女東宮にお仕えできるよ。だいたい宮中にあがるっていっても、女東宮の教育係の内侍だろ?帝の側室になるわけじゃないんだから、大丈夫だよ。」 「いや、安心はできねえ。内侍はいつ帝のお手つきになってもおかしくない立場だ。ばれたら大変だがや〜」 「う〜ん、その辺りはなんとかなるんじゃないかな。絶対帝とは二人にならないようにするし、愛想もふりまかないよ。いざとなったら仮病でも憑き物がついたふりでもなんでもするさ。ところで噂で聞いたんだけど、女東宮の野梨子姫って、すごい美人なんだよね?早く見てみたいなぁ。」 この機会に二人の立場を元に戻そうとかんがえていた大納言であったが、二人とも今の立場のままでの出仕に大乗り気である。百合子も「無理にあのふたりを元に戻すなんて無理ですわ。二人とも今の状態で生き生きとしてますもの。広い世界にでて、恋でもすれば、本来の姿に戻りたいと思うようになります。」と悠然とかまえている。大納言にはどうすることもできなかった。 結局二人の元服と裳着はつつがなく、盛大に執り行われた。 しかし、この先に大きな騒動が待ち受けていることを、二人はまだ知らなかった。 念願の出仕をしてから、約一ヶ月。悠理は内裏での振舞いに慣れてくるとともに、その代わり映えのしない毎日に、いささか飽き始めていた。 その日は月のきれいな夜であった。宿直にあたっていた悠理は、泊り込みで内裏につめていたが、仲間達との話にも飽きて、庭に面した縁を一人でぶらぶらしていた。 「あ〜あ、明日もおんなじような宴かよ。へたくそな和歌にお世辞言い合うのも飽きてきたなぁ。」 言っていることには全く趣がないが、浅葱色の直衣に包まれたほっそりとした悠理の立ち姿は、女房達が光源氏のようだと噂するのも納得できるほどの美しさであった。青い月の光がそれをさらに、幻想的で艶かしいものにしている。 ふと、空気に悠理のものではない菊花の香がただよった。 「ふむ、確かにそのとおりですね。」 悠理の真後ろで、誰かが笑いながら言った。 「誰だっ!」 悠理に気配を悟られずに、彼女の真後ろをとるとは只者ではない。振り返えりながら、悠理は思わず身構えて詰問した。 「あぁ、すみません、驚かせましたか、悠理中将。怪しいものではありません。」 見ると、目元の涼しげなすらりとした公達である。その髪と瞳は、夜の闇よりまだ黒い。かなり上等そうな衣をまとったその男は、瞳に楽しそうな色を浮かべていた。 「どなたでしょーか。」 まだ新米の悠理は、見知らぬ人が多い上に、位が上の人間も多い。ぎこちないが、初対面の人間には、失礼のないようにせねばならない。 「あぁ、まだ内裏では会ってませんでしたね、僕ら。でも小さい頃に一度会ったんですよ。僕は清四郎といいます。」 「清四郎・・・?小さい頃?」 「悠理は僕を池に突き落としたんですよ。弱虫って言って。」 悠理にしてみれば、そんなこと日常茶飯事であったため、池に落とした子供をすべて覚えられるはずがなかった。ただ、彼の漆黒の瞳には見覚えがあるような気がした。 「そっか〜そんなことしたんだ。悪かったな。」 幼いころ遊んだことのある子供と聞いて、悠理はだいぶ警戒心がとけた。 「え〜っと、清四郎・・・なんていうんだ?ほら後ろにつく官位名は?あたいより上か?」 「えらくストレートな聞き方ですね。普通もうちょっと、遠まわしな言い方しませんか?まぁ、悠理らしいが。僕のほうが、ちょっと上ですね、位は。でも細かいことは気にしないで、今は清四郎と呼んでください。僕も悠理と呼ぶし。どうです、再会を祝して一杯やりませんか?いい酒があるんですよ。」 「お、いいな。うまい肴もある?」 「用意してますよ。」「よし、飲むか!」 秋の夜風が心地よい。月を眺めながら、二人は杯を重ねていた。 「清四郎、お前なんか武芸たしなんでるのか?身のこなしに隙がなかったんだよな。」 「ええ、少し。そういう悠理もかなり武芸をたしなんでいるみたいですね。」 「まぁな〜。清四郎、弓は得意?」 「悠理の相手ぐらいはできると思いますよ。今度勝負しましょうか。小さい頃の雪辱をぜひ晴らしたいものですね。」 「いいぞ〜。お前強そうだから、おもしろくなりそうだな。貴族のぼんぼんの中であたいと張り合えるのは、松竹梅んとこの魅録ぐらいだったんだよなぁ。」 「あぁ、魅録か。奴は結構やりますからね。」 「あたいほどじゃないけどな〜」 二人はそんな話をしながら、飲み続けていた。悠理はもともと酒に強かったし、宮中の宴では緊張もあって酔いつぶれるほど酒を飲まなかった。しかし、今日はなぜかとても落ち着いた気分であり、気が付くとかなりの量を飲んでいた。 「おい、悠理。・・・寝てしまったんですか?」 悠理は清四郎の肩に頭をのせて寝てしまっていた。 「全く・・・。お前は、とんでもない姫になったな。」 微笑みながら、清四郎は自分に寄りかかる悠理の頬をなぜた。 「他の公達の前ではあまり無防備になるなよ。いつばれるか分からないんだから。」 そう呟いて清四郎は悠理を抱き上げると、風があたらないように、奥の部屋へ運んで寝かせてやった。 ・・・体がふわふわして気持ちいいぞ。浮いてるみたいだ。いい香りがする・・・。 悠理は頬と額に、柔らかな感触を感じたが、そのまま寝入ってしまった。 次の日朝起きると、頭がガンガンした。どうやら悠理はあの酒盛りの途中で眠ってしまったらしい。清四郎の姿はもうなかった。 「あれ〜あいつもういないや。ここまで運んでくれたのかな。今度会ったら、酒と運んでくれたお礼言っとかなきゃな。」 その時、万作がどたどたと駆けてきた。 「あ〜悠理ここにいただか!宿直の部屋にいなかったから探したんだがや。おめ、今日は、初めて帝にお目見えする日だぞ。はやく身支度ととのえろ。」 「あ〜そうだったなぁ。いっけね、忘れてた。」 悠理は急いで身支度を整え、帝やその他の公達が居並ぶ間へと向かった。 「帝、こちらが先日元服をすませた、大納言の若君、悠理中将です。」 誰だかしらないが、偉い公達が悠理を帝に紹介している。 悠理はさっきから、ずっと顔を伏せたままなので、いい加減首が痛くなってきた。 それにしても、この香り、つい最近嗅いだ気がする。そんなことを考えていた悠理は、公達と帝の会話など聞いてはいなかった。 「悠理殿、面を」 そう呼びかけられて、初めて悠理は帝の声をまともに聞いた。この声・・・ ゆっくりと顔をあげると、そこには、昨日さんざん酒を酌み交わした相手が澄ました顔をして座っていた。そ知らぬふりをしているが、瞳の奥は、この状況を面白がっているのがわかる。 (あいつ・・・帝だったのかよ!何が位はちょっと上だよ。) 悠理は、清四郎が帝であったという事実に驚きはしたが、恐れ多いというよりは、騙されたという感のほうが強い。 清四郎は、一言、二言、当たり障りのないやりとりを悠理と交わした後は、今度の新嘗祭の話などを万作大納言らと話していた。悠理は清四郎をにらみつけながら黙りこくっている。やがて新嘗祭の話も終わり、帝が退出するその時、 「今宵も月はきれいだろうな。」 と、清四郎は呟いた。他のものには分からぬぐらいの、視線を悠理に送りながら。 その夜、昨夜と同じ場所に悠理が行くと、月の光の中に清四郎が佇んでいた。
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