有閑とりかえばや物語

作 ことこ様

 

 

 

 

「帝だったなんて、聞いてないぞ」

昼間のことなどなかったかのように、澄ました顔で立っている男に向かって悠理は言った。

「言ってませんからね。」

清四郎はにやりと笑って答えた。

「だいたい、いーのかよ、帝がこんなとこでふらふらしてて。」

「見知った顔に出会わないようにはしてますよ。何かあっても自分の身ぐらいは守れますしね。たまには一人で自由に出歩かないと、息が詰まる。」

「ったく、性格わりーよな。昼間はあんな真面目くさった顔して、品行方正な帝をやってんのに。」

実際、清四郎の聡明さは有名であった。先代の帝である彼の兄が皇女一人を残して急死したため、弟である清四郎が帝となったのはつい最近のことである。まだ若いにもかかわらず、漢詩や和歌、陰陽道、史書といったあらゆる学問に通じた冷静沈着な名君であると評判であった。

「お前は変わらないな、僕が帝だと分かっても。」

「昨日あんだけ一緒に飲んどいて、今日になって急に帝だって言われてもピンとこないんだもん。だいたい、今のお前は帝っぽくないしさ。」

「今はただの清四郎ですから。」

年相応にいたずらっぽく笑う清四郎に、悠理もつられて微笑んだ。

「そういうことだ。今日はあたいが酒もってきたぞ。飲むよな、清四郎!」

「もちろん、頂きますよ。」

 

今日は酔いつぶれぬように注意しながらも、悠理は楽しく杯を重ねていた。

「よく考えてみれば、お前も大変だよな。東宮だったとはいえ、急に帝になって政や宴やらで毎日窮屈に生活してさ。」

「僕はまだこうやって、出歩いたりして憂さ晴らしができますけどね。可哀相なのは、女東宮の野梨子ですよ。彼女は賢い人だから学問や政に関する教育を受ける分には苦労しないでしょうが、女性の身で東宮という窮屈な身分はつらいでしょう。野梨子は遊ぶということが下手なんですよ。華やかさで評判の美童内侍が相手をしてくれることで、少しでも野梨子の気が晴れるといいんですが。」

「ふ〜ん、それで美童が女東宮に仕えることになったのかぁ。女東宮も大変そうだな。清四郎の姪なんだっけ?」

「姪といっても、歳はほとんど一緒なので兄弟みたなものです。小さい頃はよく一緒に物語などを読んでいたが、さすがに最近はしょっちゅう会うという訳にもいかなくてね。たまには美童内侍と女東宮のところに行って、相手をしてやってください。」

「そうだな。出仕してから美童に会ってなかったし、近々ご機嫌伺いにいくかな。」

「今度、僕も女東宮に会いに行きますから、一緒に行きましょう。評判の美童内侍にもお会いしたいですしね。」

「いいけど、お前ぜーーーーーったい美童には手をだすなよ!」

悠理はあわてて言った。それだけはなんとしても阻止しなければならない。

「わかってますよ。」

清四郎は酒と一緒に笑いを飲み込んだ。間違っても美童に手を出すつもりはない。

悠理はあっさり承諾した清四郎に拍子抜けしたが、その訳を知る由もなかった。

 

それから、帝と悠理中将が連れ立って、女東宮のご機嫌伺いに向かうのは、毎回宮中ではちょっとした騒ぎとなった。今光源氏とうたわれる悠理中将を御簾の影から一目みようと、大勢の女房達が東宮の御殿へ渡る廊下へ集まっていたのだ。

最初の頃は、御簾の陰からの刺すような視線におどろいた悠理であったが、何度か東宮の御殿を訪れるうちに、慣れっこになり、いっそう華やかな魅力を振りまいていた。

きれいな衣を着て、笑顔を振りまいて歩くだけで、次の日の悠理の元には、女房達からの多くの差し入れが集まってきたのだ。

・・・明日はなにがもらえるかな〜♪この間の唐渡りの菓子はうまかったよなぁ。

悠理が食べ物を喜ぶという噂は、瞬く間に宮中に広まっていた。しかし、添えられた手紙や和歌には、悠理は目もくれないという事実は、幸か不幸かほとんど誰も知らなかった。

 

「ほんとうに、悠理が来るときは、賑やかになりますわ。」

野梨子は鈴の音のような声で言った。4人はいまや、すっかり打ち解け、悠理も、清四郎と二人で話す時と同じような態度で野梨子に接した。

野梨子も美童のおかげか、すっかり明るくなり、悠理の狩の話や、こっそり出かけた市の話などをおもしろがって聞いた。

「わたくしも一度、市というものに行ってみたいですわ・・・。でも無理でしょうね。本当に東宮なんて立場、嫌になりますわ。美童が話相手になってくれるからまだいいんですけれど。」

「そうだよな〜。清四郎に早く皇子が生まれたら、野梨子も東宮じゃなくなってもう少し自由になれるのにな。」

そういう悠理の言葉に、野梨子は意味ありげに笑って言った、

「あら、悠理しりませんの?清四郎ったら、初恋の人が未だに忘れられなくて、きちんとした后を迎えませんのよ。皇子が生まれるのはまだ先になりそうですわ。」

「野梨子!」

珍しく清四郎が真っ赤になって慌てている。

「へぇ〜、そんな話が!ぜひお聞きしたいなぁ。」

恋の話が大好きな美童は興味津々である。

「初恋かぁ。ふ〜ん。」

悠理はなんとなくおもしろくなかった。彼があんなに慌てるなんて珍しい。夜な夜な二人で酒を飲んでいる時も、清四郎はその人に思いを馳せていたのだろうか。

・・・そんな話、二人で飲んでる時には全然してくれなかったのにさ。

悠理は、自分がおもしろくない理由をそのせいだと思った。

結局、頑としてその話をしようとはしない清四郎と、あまり興味の無さそうな悠理のせいで、その話はうやむやになってしまった。

・・・悠理はあんまり興味がないみたいですね、僕の初恋には。

清四郎は人知れず、ため息をついたのだった。

 

 

 

 

悠理が帝と女東宮をしょっちゅう訪れることで、騒ぎが起こったのは女房達の間だけではない。冷静であまり人を寄せ付けないところがある帝が、悠理中将とはよく連れ立って行動するというので、悠理は帝の覚えもめでたく出世間違いなしの公達として評判になった。

それはつまり、年頃の娘を持つ親にとって、格好の婿候補という訳である。

水面下では、悠理を婿にという貴族のバトルが繰り広げられ、万作や悠理が気づいたときには、そのバトルの勝者である右大臣の娘と悠理の結婚が決まってしまっていた。

 

「結婚は、まずいよな・・・。あ〜あ、父ちゃんはたよりないし。」

悠理は、ずっと上の空だった会議から、とぼとぼと退出しながら呟いていた。

意外とうまくやっている悠理と美童に安心していた万作大納言は、振って湧いたような悠理の結婚話に、泡を吹いて倒れてしまったのだ。上司である右大臣の娘との縁談の話は、出仕のときと同様、断るわけにもいかなかった。

「よお、悠理。聞いたぜ、結婚のこと。美人で有名な右大臣とこの可憐姫とだろ。おめでとさん!」

一緒に会議に出ていた魅録が、後ろからポンと悠理の肩をたたいてそう言った。

「みろくぅ〜!!あたい結婚なんてしたくないよ〜!大体、なんで出仕はお前が先だったのに、結婚はあたいが先なんだよ。」

「お前さんがそれだけ将来有望ってこった。でも結婚したくないなんて、宮中でわめくなよ。右大臣にばれたら大変だぞ。」

二人は人気のないところに移動して、話を続けた。父が頼りない今、昔からの親友であり、世慣れた魅録に相談するのが、一番いいかもしれないと悠理は考えた。

「結婚なんて、色々めんどくさいんだろ?相手の家に通わなきゃいけないし、夜、気ままにふらふらできなくなるじゃないか。しかも相手の家に泊まるんだろ?」

「そりゃ、泊まんないと意味ねぇだろ・・・。確かに今までみたいなお気楽で自由に遊び歩くわけにはいかないだろうが、腹くくれよ、悠理。可憐姫は身分も申し分ないし、おまけに美人で気立てがいいって評判だぞ。お前んとこの親父さんも、なんか最近具合悪いらしいし、早く孫の顔見せてやれよ。」

「その・・・孫の顔みせてやるっていうのが・・・。あたいよく知らないけどさ。その契りってやつ?あれってさぁ〜」

その悠理の悩みがその手の話題だと知ると、魅録は真っ赤になって、慌ててさえぎった。

「えーっと、待て待て待て!お前が悩んでるのってその方面の話だったのか。まぁ、あれだな、・・・えーっと、そういうのは流れに身をまかせたらいい(らしい)んだよ。ほら、お前もまだ若いし、なるようになる(らしいぞ)!」

世慣れた魅録であるが、男女の話は大の苦手であり、自身もかなりの奥手であることを悠理は知らなかった。

「とにかく!多少窮屈な生活になるかもしれねぇけど、俺もたまには右大臣の屋敷に遊びに行ってやるから!頑張れよ!じゃあな!」

そう言って、魅録はさっさと逃げ出してしまった。

「なんだぁ、あいつ?ちぇっ、結局魅録も頼りねぇな。」

悠理は清四郎に相談しようかと思ったが、あの初恋の話を聞いて以来、なんとなくそういう話を清四郎から聞きたくないような気がしていた。

結局、あれよあれよという間に、婚礼の夜が来てしまったのだった。

 

婚礼の夜、可憐は、少し緊張していた。男女の仲についての知識は、物語や周りの女房の話からバッチリ仕入れている。しかし、光源氏の再来といわれる悠理中将と面と向かって会うのは、自分の美貌に自信があるとはいえ、さすがに緊張するものであった。

・・・気後れする必要なんてないのよね。だいたい私は、帝に入内して中宮になってもおかしくない立場なんだから!ほんとは、帝の寵妃になって、日本一の玉の輿に乗るっていうのが私の夢だったんだけど、今を時めく悠理中将の妻だって捨てたもんじゃないわ。やっぱり男は顔よね!

やがて、静かな足どりで、聞きようによっては重い足どりで、悠理が可憐の部屋にやってきた。ほのかな行灯の光の中でみるその顔立ちは、 噂にたがわず端正で、思いつめたような表情がまた、美しさに趣を添えていた。

「可憐でございます。ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします。」

「・・・。どうも。悠理です。」

それから長い沈黙があった。可憐はさすがに気まずくなったので、とりあえず、

「床はあちらでございます。」

と悠理を促した。

悠理は、はっとした顔になり、そして意を決したように可憐の目の前に座ってこう言った、

「ごめんなさいっ!!!」

 


 

 

 

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