作 ことこ様
四
梅園での酒盛り以来、悠理は清四郎の顔を面と向かって見れなくなってしまった。 あの日、顔を上げた悠理の泣きそうな顔を見た清四郎は、はっと胸を衝かれたようにその腕を放した。それから、二人で何を話したのか悠理はさっぱり覚えていなかったが、気まずい感じで何か言葉を交わした後、そそくさと御所に帰ったのであった。 悠理は自分自身に戸惑っていた。何故あれほど動揺したのか、動けなくなったのか。 そして泣きたくなったのか。 こんな経験は初めてであった。 宮中でも、いつも活発で光り輝いていた悠理が、すっかり沈み込んで元気が無いと、色々な者たちが心配した。清四郎は、議事の座などで、そんな悠理を物問いたげな瞳で見つめていたが、悠理は視線を返すことができなかった。 その日の夜は、元気のない悠理を心配して、魅録がいつものように右大臣邸に訪ねてきていた。 酒の席でも、いつものように騒がず、あいまいな返事しかしない悠理を、魅録は怪訝に思って色々尋ねてみたが、結局何も聞き出すことができなかたった。いつもなら夜通し飲み明かす3人であったが、魅録は珍しく客人の間で早々に休むことにした。 悠理の様子がおかしいのは、可憐も承知していた。あの大めしぐらいの悠理が夕餉を一人前しか食らわず、庭を見ながら溜息などついている。これはもしや・・・と思った可憐であるが、魅録の前では聞き出すこともできない。彼が寝所に行ってから悠理と二人きりになり、聞いてみた。 「悠理、あんたお腹でも痛いの?」 「いや・・・。」 「頭痛?」 「・・・う〜ん、頭痛でもないな。」 「じゃあ・・・、胸が痛いんでしょ?」 悠理は、金茶色の瞳をまんまるにして、答えた、 「なんで可憐わかんの?」 可憐は優しく微笑んだ。 「女が見たら、誰だってわかるわよ。あんたも分かりやすくて可愛いわね。いつから?」 「ん・・・、清四郎と梅を見に行った日から、・・・かな。」 清四郎、その名を出すと、悠理はまた胸が痛くなった。 「清四郎って、・・・帝!?あんたもまた大変な相手に恋しちゃったわね!」 「恋?!」 「そうよ、どう見たってあんたは恋わずらいよ!」 可憐は自信満々に言い切った。 「これが?!恋?!『忍ぶれど色にでにけり・・・』っていうあれ?!」 「そうそう、あんたの場合なんてまさにそれよ!」 「うっそだぁ〜」 「あら、じゃあ帝のことを考えると、顔があつ〜くなって、なんか胸の辺りがきゅってならない?」 「・・・なる。」 「会っても顔をまともに見れない?」 「・・・見れない。」 「なのに四六時中、帝のことが頭から離れない?」 「・・・離れない。」 「ほら、じゃあやっぱりそうよ。あんたは間違いなく恋してる。そんな格好しててもやっぱり中身は女の子だったのね〜」 「でも、あたい見た目は完全に男だぞ!清四郎との付き合いだって、男同士の付き合いだし・・・」 「そうねぇ〜。やっぱり女に戻る頃合なんじゃないの?」 「今さら女に戻れるかよ!」 そう悠理が声を上げたときに、ガタっと背後で几帳が動く音がした。 びっくりして悠理と可憐が振り返ると、そこには気まずそうな魅録の顔があった。 「・・・わりぃ。聞くつもりはなかったんだが、客人の間に行く途中に迷っちまって・・・。場所を聞こうと戻ってきたんだけど・・・。」 悠理と可憐は固まってしまった。 「お、お前、・・・今の話聞いてた?」 「『そんな格好してても…』って辺りから・・・。」 「じゃ、じゃあ、・・・ばれちゃった?」 「・・・お前、・・・女なのか?」 答えてしまってよいのか分からない悠理は、思わず可憐の方を見た。女だとばれたら可憐にも迷惑がかかる。 「悠理、正直に話しましょ。魅録さま、このことは絶対に他言無用です。そして、聞くからには、協力してくださいね。あなたと悠理は親友なんでしょ?」 可憐は、しっかりと魅録の目を見据えて言った。初めてまともに見たその美しい面差しは、彼の母によく似ていた。そんな顔で問われて、魅録は抗えるはずもなかった。 「ああ、俺達は親友だ。例え、その・・悠理が女だったとしてもな。悠理が困るようなことはしねぇよ。なにか問題が起きてるんだったら、助けたい。」 そう言う魅録に、可憐と悠理は全ての事情を話した。 「確かに、男の割には華奢だと思ってたけど、まさか女だったとはな。・・・で、女に戻ることにするのか?」 「可憐が、あたいは恋してるから女に戻れって言うんだよ。」 今だ自分が恋をしているということに半信半疑の悠理は、不機嫌そうにそう答えた。 「誰がどう見たって、あんたは帝に恋してんのよ!」 可憐の言葉を聞いて、魅録は今日何度目かの絶句をした。 「・・・帝にかよ!?確かに、お前は帝のお気に入りだって噂だったけど。ただ・・・」 「ただ、何?」 続きを促す悠理に、魅録は気まずそうに言った。 「まだ確かな話じゃないんだけどな。左大臣とこの姫君が、近々入内するっていう噂なんだ。今まできちんとした妃がいなかったのが不思議なぐらいだからな。ジジイどもが、はやく妃を娶って、男皇子をってうるさいらしい。」 悠理は呆けたように聞き返した。 「・・・せーしろうが、けっこんするってこと・・・?」 「あぁ。別に妃は一人って決まってるわけじゃないけどよ。」 苦虫を噛み潰したような魅録の言葉も、悠理の耳に入っているかどうかは怪しかった。 そのあまりのショックに、悠理自身も、自分が清四郎に恋をしているのだと自覚するしかなかった。 それから、ほとんど毎日のように魅録は右大臣邸に通った。実際は、悠理をいかにして女に戻すかを、可憐と魅録が一生懸命話し合っていたのであったが、やはり宰相の君の想い人は右大臣邸にいるのだ、いや、実は宰相の君と悠理中将はあやしの恋におちているのだ、などど無責任な噂が飛び交った。 悠理を女に戻し、醜女と噂の左大臣の姫に負けてなるものかと、可憐は異様に張り切っていた。 しかし、当の悠理は女に戻るつもりが有るのか無いのかはっきりしない。 「んもう!あんたのためにやってるのよ!ちょっとはいい方法がないか考えなさいよ!」 そう言って怒る可憐に、悠理は答えた。 「だって、女に戻ったって、清四郎があたいを好きになってくれるとは限らないし・・・。それだったら、いっそのことこのままでもいいや、って思ったりもするんだ。男のままだと、あたいたち仲いいし、近くにいれるからな。」 「悠理・・・」 悲しげに笑う悠理に、可憐と魅録は胸が痛くなった。なんとしても、この数奇な運命の美少女の初恋を成就させてやりたい、ふたりはそう思った。 「あたい、ちょっと気晴らしに出かけてくるよ」 二人の悲しげな目線に耐えられなくなった悠理は、そう言って、出かけてしまった。 向かった先は、去年の秋、初めて清四郎と会った場所であった。 あの頃は、澄んだ空気の中に菊の香りがただよっていたが、立春を過ぎた今、沈丁花の香りをふくんだ重い空気があたりに垂れ込めていた。 あの時、清四郎が立っていた縁に悠理は近づいた。 どこかで悠理はそれを期待していたのかもしれない。その縁には、一人佇む人影―――清四郎がいた。 「『今はただ思いたえなむとばかりを・・・』か。」庭を眺めながら清四郎は独りつぶやいた。 あの秋、冴え冴えとした月の光に包まれて、くっきりと浮かんでいたその姿とは対照的に、やわらかな朧月夜の下にある今の清四郎の姿は、ぼんやりとして儚げで、声をかけたら消えてしまいそうであった。 「ゆうり・・・」 何も言えずに立っていた悠理に、清四郎は気がついた。 「よぉ。」 悠理はぎこちなく笑った。今までみたいに接する自信がなかった。 「お前、今日は宿直じゃないだろう?どうしたんだ?」 「いや、なんとなく、月でも見るかなぁって。・・・久しぶりだな。」 清四郎は、悠理が以前のようにその金茶色の大きな瞳で自分をまっすぐ見ないのが悲しかった。 「そうですね。僕は随分お前に嫌われたらしいな。・・・魅録といるほうが楽しいか?」 「別にそういう訳じゃ・・・。」 魅録がしょっちゅう右大臣邸に通っている理由も言えず、悠理は黙り込んだ。その沈黙を清四郎は自分の問いに対する肯定と受け取った。 やはりこの間、梅園で思わず抱きしめてしまったのが、いけなかったのだろう。悠理を驚かせ、怯えさせてしまったのかもしれない。あの時彼女は泣きそうな顔をしていた。 そう考えながら、清四郎は次の言葉を捜しあぐねていた。 「・・・お前、結婚するのか?」 沈黙をやぶって、唐突に悠理が聞いた。 「あぁ、確かにそういう話もでてますね・・・。僕も断ってはいるんですが、今回はなかなか左大臣があきらめなくて。」 悠理は、前に野梨子が話していたことを思い出して言った、 「お前が結婚断る理由って、初恋の人のせいか?」 清四郎は、かすかに笑って答えた。 「ええ、そうですよ。どうやら僕は彼女が忘れられないらしい。」 「誰なんだよ、それ。」 悠理の問いに、一瞬間をおいて、清四郎は答えた。 「まだ東宮にも立つ前でしたから、4歳ぐらいの時ですね。宴に連れられて万作大納言の屋敷を訪れた時に、庭で出会った姫君ですよ。」 「・・・!」 悠理は頭の中が真っ白になった。清四郎の初恋が万作大納言の姫君!!! 何も考えられず、気がつくと悠理はその場から走って逃げてしまった。 顔色を変え、衣をひるがえして走り去る悠理を、清四郎は追いかけることもできず、唇をかみしめていた。 どれだけ走ったのかわからない。悠理は内裏の中をめちゃくちゃに走っていた。そろそろ夜が明けるころである。人々が起きだして、見つかるとまずい。 悠理はようやく立ち止まると、辺りを見回した。 この建物は見覚えがある。・・・女東宮の御殿の辺りであった。 こんな明け方に、男姿の悠理が女東宮の御殿の近くで見つかると大事である。 急いで離れなきゃ、そう思っていた時、目の前の蔀戸が開いた。 やばい!と思った時には手遅れであった。ばっちり顔を見られてしまったのである。 しかし、その蔀戸から顔をだしたのは、美童であった。 「悠理!」 髪は乱れ、服もどこを歩いていたのか汚れ放題の悠理をみて、美童はひっくり返るほど驚いた。急いで庭のほうに降りてきて、人目につかないところへ引っ張っていった。 「なにしてんだよ、こんなとこで!誰かにみつかったら、まずいだろ?!」 「わかってるよ。・・・すぐ行くから。」 その時美童は、悠理の顔が涙の跡でぐちゃぐちゃなことに気がついた。 「・・・何かあったの?」 心配そうに聞く美童に悠理は言った、 「知ってたか?清四郎の初恋って、お前なんだって・・・。」 「はぁ??」 訳がわからず、美童は固まってしまった。 悠理はそんな美童に構わず、一人、春霞の中へ消えていった。 そして、次の日から悠理が宮中に出仕することは二度となかった。
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