俺は、ある女の子に恋をした。

 

日本人形みたいな娘で、とっても可愛いんだ。

軽い男だって思われがちな俺だけど、その娘には、けっこう本気だった。

だけど、その娘の隣には、いつも優等生面した―― というか、本当の優等生くんがいて、誰もが無理だと、そう言った。

でも、好きになったら仕方ないじゃないか。それに、よくよく観察してみれば、あの娘と優等生くんは、ただの幼馴染で、付き合ってはいないらしい。

そうとくれば、後は押しの一手だ。あの娘はお嬢さまだから、きっと、ロマンティックなシュチュエーションに弱いだろう。

お嬢さまに限ったことじゃない。女って、どういう訳か、シュチュエーションに弱い。

だから、俺は考えた。そして、名案を思いついた。

 

あの娘が通う学園に伝わる、ひとつの物語。

イブの夜、中庭に立つ銀杏の木の下で告白すると、恋が実る―― 

そんな言い伝えを、俺は利用することにした。

 

でも、その思いつきは、実行に移されることはなかった。

 

何故って―― 俺は、ガードレールにぶつかってしまったから。

 

 

十二月の、とある日、あの娘を思いながら、死んでしまったから。

 

 

 

 

  12月の奇跡 

<1>

BY hachi様 (原案:ネコ☆まんま様)

 

 

 

 

色とりどりのイルミネーションに溢れた、冬。

遠い異国の宗教イベントにも関わらず、街は、陽気に浮かれていた。

サンタの衣装に身を包んだサンドイッチマンが、空々しい笑顔を振り撒き、人々の高揚感を、是が非でも盛り立てようとしている。

 

そんな、少しだけいつもと違う季節に、小さな事件は、起こった。

 

 

「へっくしゅん!!」

悠理は差し入れの菓子の両手で掴んだまま、盛大なくしゃみをした。

ちょうど正面に座っていた美童が、くしゃみと同時にカップを持ち上げ、身を逸らした。

「悠理!くしゃみするなら、ちゃんと口を手で覆いなよ!」

ずず、と鼻を啜りながら、悠理が、ごめん、と謝罪する。

「なんか、寒気がするんだよな。風邪でもひいたかな?」

「鬼の霍乱ですか?珍しいこともあるものですね。」

斜め向かいに座った清四郎が、経済新聞から眼を逸らさぬままで呟いた。悠理は、耳聡くそれを聞きつけ、ぎろりと清四郎を睨んだ。

「お前、今、あたいを馬鹿にしたろ?」

「おや、鬼の霍乱の意味は分からなくても、馬鹿にされたのは分かるのですね。」

二人の間に、見えない火花が飛ぶ。もちろん、それは悠理から一方的に発せられたものであるが。

「あんたたち、じゃれ合うのもいい加減にしなさいよ。暇さえあればちょっかいを出し合ってるんだから。ああもう、悠理ったら、鼻水垂れてるわよ。あんただって女の子でしょう?少しはちゃんとしなさいよ。」

すっかり倶楽部の世話女房と化した可憐が、箱ごとティッシュを差し出した。

「女の子ぉ?悠理にゃ、一番遠い言葉だな。」

魅録が禁煙ガムを噛みながら、茶化すように悠理を指差す。

「悠理は、並みの男より男らしいじゃん。そのままのほうが、女のファンが喜ぶぜ?」

「うるさい、魅録。」

そう言う悠理の声は、不自然にくぐもっている。鼻が詰まって、上手に発音できないのだ。

悠理が己の肩を抱いて、ぶるり、と震える。本当に寒いらしい。

「悠理、風邪が酷くならないうちに、帰ったほうがよろしいわよ。」

野梨子が、日本人形と見紛うばかりに整った顔を曇らせた。

「今年は、風邪の流行が早いみたいですわ。私も―― 妙に寒気がしますし。」

 

そのときの悠理は、まさか、その言葉に意味があったなんて、気づいてはいなかった。

 

と、いうか―― 気づくはずも、なかった。

 

 

一足先に部室を出た悠理は、校門への近道である中庭を、足早に抜けていた。

十二月になって、急に冷え込んできた。日中でも、震えがくるくらい、寒い。落葉樹は既に丸裸で、空っ風に枝を震わせている。常緑樹でさえ、寒そうに身を縮めているように見えるほど、周囲の空気は冷えていた。

悠理は中庭の真ん中でいったん足を止め、白い息を吐きながら、周囲を見回した。曇天の夕刻、普段の同じ時間よりも、ずっと暗い。色を失いかけた庭に視線を巡らせていて、そして―― 

 

―― 悠理は、彼に出会った。

 

 

 

 

彼は、葉っぱの一枚も残っていない銀杏の木を見上げていた。

茶色に染めた髪を見るまでもなく、見慣れない制服が、他校の生徒であることを主張していた。

良家の子女が集うこの学園は、過剰なほどにセキュリティが厳しい。他校の生徒が侵入したと分かったら、きっと、警察沙汰になる。最近の警察は神経質になっているから、お叱りで無罪放免、とはいかないだろう。運が悪ければ、酷い処罰が下される危険もある。

相手は見知らぬ少年だが、何となく心配で、思わず彼に声をかけた。

 

「おい。」

ぶっきらぼうに声をかけると、少年は驚いたように振り返った。

明るい茶色に染めた髪が、スローモーションで宙を舞う。

「お前、どこから入ってきた?見つからないうちに帰ったほうが・・・」

ぞくり。

言葉の途中で、激しい寒気に襲われた。

悠理を凝視していた少年が、にこり、と笑った。

その笑みを見た途端、背筋に悪寒が走った。

「お前、俺が見えるんだな。」

ざあっ、と、風が、木の葉を舞い上げた。

しかし、少年の髪や、制服は、そよぎもしない。

 

そこで―― 悠理は、ようやく尋常ざらぬ状況に気づいた。

悠理が対面しているのは、まさか・・・

 

少年が、この上もなく楽しげに笑った。

「じゃあ、さ。ちょっと、身体を貸してくれよ―― 」

 

答える前に、悠理の意識は途切れていた。

 

 

 

 

気がつくと、悠理は自室のベッドに横たわっていた。

いつの間に帰ってきたのだろうか?記憶が曖昧で、よく分からない。だが、自室にいる安心感が、曖昧な記憶に対する不安を消してくれていた。それに加えて、頭蓋の内から響いてくる激痛が、思考の優先順位を狂わせていた。

 

呻きながら身を起こし、そこでようやく制服を着たままなのに気づく。開け放したカーテンの先には、濃い闇が広がっている。いったい何時なのだろうと、壁掛け時計を振り返った瞬間、悠理は驚きのあまりベッドから転げ落ちそうになった。

 

「よお。」

時計の脇にある、三人掛けのソファに、茶髪の少年がだらしなく横たわっていた。

 

「お前んち、とんでもねえ金持ちなんだな。俺、こんな部屋に入ったの、生まれてはじめてだよ。」

少年が、ソファからはみ出した足をブラブラさせながら、悠理に話しかける。

しかし、悠理は返事をするどころではない。

「お、お、お、お前、何だよ!?どっから入ってきたんだ!?」

叫びながら、ベッドを飛び降りて、急いでその後ろに隠れる。別に貞操の危機に怯えているのではない。が、怯えては、いた。全身にびっしりと立った鳥肌が、彼の正体を教えてくれていたから。

彼は、悠理がもっとも苦手とする「もの」なのだ。

「どっからって、お前と一緒に入ってきたじゃん。つーか、お前に憑いて、って言ったほうが正解だな。」

少年はあっけらかんと言ってのけ、かかか、と明るく笑った。

一方の悠理は、それを聞いた途端、危うく卒倒しそうになった。辛うじて倒れるのは免れたが、あくまでも「免れた」だけであって、最悪の状況は何ひとつ変わっていない。

「何でもいいから、さっさと出て行ってくれよ!」

悠理が半分涙声で叫ぶと、少年は勢いをつけて、ソファから起き上がった。僅かに距離が縮まり、悠理は慌てて身を低くする。

「冷たいなあ。しばらく厄介になるんだからさ、もっとフレンドリーに行こうぜ。」

「しばらく!?」

驚きのあまり眼を剥く悠理に、少年は、おう!と元気いっぱいに答えた。

「そう、クリスマス・イブまでの一週間、世話になるぜ。」

 

 

悠理は着のみ着のままで部屋を飛び出して、たまたま玄関前にいた名輪に車を出してもらい、清四郎の家へと向かった。

何故に清四郎の家へと向かったか?理由はふたつある。ひとつは、少年がいる自分の部屋から少しでも離れたかったため。そして、もうひとつは、賢い清四郎なら、少年を何とかしてくれると思ったのだ。

とりあえず、ひとつめの理由は、無事に解決できたようだ。悠理は安堵の息を吐き、革張りのシートに、深々と身を預けた。

 

しかし、安心するには、早すぎた。

 

「すっげえ!リンカーンなんて、はじめて乗ったぜ!!」

すぐ隣から聞こえてきた声に、悠理は身を強張らせた。

隣を確かめたくても、そんな勇気は、あるはずもなかった。が、恐怖に慄く悠理を余所に、声はさらに続いていく。

「すっげえ!車に冷蔵庫かよ!?うわ!DVDまであるぜ!何だコレ?意味ねえシャンデリアだなあ!おお!肘掛がでけえ!つーか、全部がアメリカン?これでパツキンの姉ちゃんが乗ってたら、サイコーってカンジ!?それで、チョビ髭エロオヤジが、君の瞳に乾杯〜ってか!?ぎゃははは、つーかさあ、それだとあんまりハマり過ぎ!?」

幽霊らしからぬ発言の数々に、流石の悠理も怯えているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。ちろり、と隣を盗み見ると、嬉々として車の備品を確かめる少年がいた。

「・・・なんで、お前までココにいるんだよ?」

声をかけても、少年の備品確認は止まらない。

「お嬢さま、御用ですか?」

少年の代わりに、名輪が答えた。仕方もない。忠実な運転手には、少年の姿など見えてはいないだろうから。

「何でもない。ああ、名輪。今から独り言を言うけど、無視してくれていいからね。」

悠理がそう言うと、名輪は、可動式の仕切り板で、運転席と後部座席とを遮断してくれた。名輪の気遣いのお陰か、はたまた馬鹿を連発する少年に呆れたせいか、悠理もようやく冷静になれた。

「・・・お前、なんであたいにつき纏うんだ?」

すると、少年が顔を上げて、悠理を見た。

「つき纏う?ちげーよ。取り憑いてるんだ。」

「それって、かなり迷惑。あたい、何にも出来ないしさー、さっさと諦めて、どっか違うところに行ってくれよ。」

「そりゃ、できねえ相談だな。」

少年は、シートの上で胡坐を掻いて、ほんの少し、逡巡するかのように、眉を顰めた。

「迷惑なのは分かってるけどさあ、俺が見えるのって、お前だけみたいだし、俺のダチが気づいてくれたとしても、あの学園に入れないだろ?」

確かに、少年の外見からして、彼の友人など推して知るべしであるから、聖プレジデント学園には、一歩たりとも入れないだろう。

そこまで考えて、ようやく疑問が湧いた。

「お前、クリスマスイブまでって言ってたよな?何で期間限定?っていうか、どうしてプレジレント学園に拘るわけ?」

「それはさあ・・・」

少年の顔が、ほんの少し、赤く染まった。それがあまりにも人間臭かったため、何だか幽霊と対峙しているという気がしなくなってきた。

「なんだよ?じれったいからさあ、とっとと言えよ。」

からかい半分で押した肩に、手ごたえなどあろうはずもなく、悠理の手は、少年の身体をすり抜けた。空を掴んだことに吃驚していると、少年が、哀しげに笑った。

「俺、幽霊じゃん?だからさ、誰かに助けてもらわないと、好きな娘に告白もできないんだ。」

「お前、好きな娘がいるの!?」

悠理は思わず身を乗り出して尋ねた。一方の少年は、顔を赤らめて、悠理から視線を逸らしている。その、ウブな様子は、とてもじゃないが、幽霊などに見えなかった。

「・・・笑わずに聞いてくれるか?」

少年が、眼の縁をほんのりピンクに染めて、躊躇いがちに囁きかけてきた。悠理が好奇心丸出しの笑顔で大きく頷くと、その様子に不安を覚えたらしく、やっぱりイイや、とそっぽを向く。それを何とか宥め賺して、少年の事情を聞きだすまで、長い時間は必要としなかった。

 

少年は、幽霊とは思えぬほどお喋りだったのだ。

 

 

 

 

 

 

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