12月の奇跡 

<2>

BY hachi様 (原案:ネコ☆まんま様)

 

 

少年は、吉野橋明良と名乗った。

聖プレジレント学園と同区にある、都立高校の、三年生だという。

もちろん―― 生前の話である。

「俺さ、夜に道路工事のバイトしてたんだ。何でって?やっぱお嬢さまには分かんねえかなあ。コンビニでバイトするより、うんと時給が高いんだ。ああ、金が欲しかったからな。それで、あの日もさ・・・いつもみたいに朝までバイトして、バイク飛ばして家に帰ろうとしてたんだ。」

そして、明良は事故に遭った。

対向車線にはみ出してきたトラックを避けようとして、ガードレールに激突したのだ。

「俺もスピード出していたから、ガードレールが目の前まで迫ってきたとき、ああ、死ぬな、って思った。痛いとかは感じなかった。きっと即死だったんだろうなあ。葬式で、母ちゃんずっと泣いてた。最後まで泣かせどおしでさ、俺、親不孝な息子だよ・・・」

もらい泣きする悠理を、明良は笑いながら宥めた。

「馬鹿だなあ、泣くなって。こう見えても、俺、潔い性格なんだ。まあさ、確かに死ぬのは嫌だったけど、こうなった以上は仕方ないじゃん?でもさあ、なんつうの?未練?死んでも死に切れない理由っていうのが、ひとつあったわけ。だから―― 」

「あたいに、憑いた?」

悠理の言葉に、明良は表情を引き締めて、頷いた。

 

 

明良には、好きな娘がいた。

たまに書店で出会う、聖プレジデント学園の女子生徒だ。

しかし、相手は金持ち学校に通うお嬢さま。一方の明良は、偏差値が低いことで有名な都立高校に通う、不良学生だ。所詮は叶わぬ恋だと諦めかけたものの、募る想いはどうにもできない。

考えあぐねた結果、明良は、少女に告白することにした。

限りなくゼロに近い確率を、少しでも上げるため、ロマンティックな聖夜に、必死の思いで貯めたバイト代を叩いて、準備したプレゼントを渡し、告白しようと決めたのだ。

それも、そこで告白すると、両思いになれると噂される場所で。

 

でも、明良は、死んでしまった。

好きな娘に、秘めた想いを、告げぬままに。

 

「死んでしまったものは仕方ないけどさ、どうしても、あの娘にだけは伝えたいんだ。俺っていう馬鹿な男が、この世に生きていたっていうことを、あの娘に知ってもらいたい。それさえ叶えば、俺は、満足して成仏できる。」

くちびるをきゅっと結んだ横顔に、悠理は、彼の決心を知った。

明良は、短すぎた人生と決別するため、好きな娘に想いを伝えたいのだ。

「おっしゃ!あたいに任せとけ!」

悠理は、大して大きくない胸を張って、どんと叩いた。

「お前が告白できるよう、協力するよ!何でもやるから、遠慮なく言ってくれ!」

そのときまで、悠理は気づいていなかった。

肉体を持たぬ明良が、どうやって告白するかなど。

 

「いやだあああ!何が哀しくて、あたいが女の子に告白しなきゃいけないんだよ!?」

 

悠理の絶叫が響き渡った直後、車は菊正宗家の前に到着した。

 

 

「ここ、どこだよ?」

車を降りると、すぐに明良が尋ねてきた。高級住宅街が珍しいのか、キョロキョロと周囲を見回している。

「ダチの家。」

答えてから、ここに来た理由を思い出す。すっかり忘れていたが、清四郎に助けを求めるためだ。が、協力すると決めた以上、明良を祓うわけにもいかない。

「どうしよう?このまま帰るかなあ?」

チャイムを睨んで逡巡する悠理に、後ろから、声がかかった。

「悠理じゃありませんこと?」

振り返ると、そこに、二人の弟子を連れた、和服姿の野梨子がいた。

「具合が悪いのに、そんな薄着で出歩くなんて、余計に具合が悪くなったらどうするつもりですの?」

「ああ、うん・・・」

しどろもどろの悠理に不審を感じたのか、野梨子の柳眉が僅かに上がる。

「こんな時間に清四郎を訪ねるということは、もしかして、また事件ですの?」

「いや!事件じゃないよ!なあ、あき・・・」

途中まで言いかけて、慌てて口を噤む。野梨子に明良が見えるはずがないのだ。

「何でもないんだ!ほら、弟子が待ってるぜ!早く行けよ!」

野梨子の背中を押して、立ち去るよう強要すると、彼女は小さく溜息を吐いて、くれぐれも無茶はなさらないでね、と言い残して、去っていった。彼女の言う「無茶」とは、当然のことながら、悠理の体調を指してはいないだろう。

「まったく、野梨子も心配性だよなあ・・・って、あれ?明良?」

明良の姿がない。辺りを見回すと、何故か電柱の陰に隠れていた。

「お前、何やってんの?」。

明良が、電柱の陰からひょっこり顔を覗かせた。心なしか、顔が赤い。

「幽霊なんだからさ、隠れる必要は・・・お前、何を見て・・・」

明良の視線を追って振り返ると、野梨子の後姿が、今まさに闇へと溶けようとしていた。

「・・・白百合ちゃん・・・」

不良少年の口から漏れたとは思えぬ呟きに、悠理は耳を疑った。

明良は、うっとりとした眼で、野梨子が消えた闇を眺めている。

 

まさか。

まさか。

 

悠理は、ごくん、と息を呑んだ。

 

「まさか・・・明良の好きな娘って・・・野梨子!?」

 

野梨子に愛を告白する自分を想像し、悠理は卒倒しそうになった。

 

 

 

 

外から響いてくる無遠慮な叫び声に、清四郎は眉を顰めた。

忘れたくても忘れられない、というより、忘れさせてくれない、野生児の雄叫びだ。

深々と溜息を吐き、自室を出て玄関に向かう。その間にチャイムが鳴るかと思ったが、清四郎が玄関を出ても、前庭を横切っても、チャイムは静かなままだった。

門扉を開けて、公道に出る。見回すまでもなく、人間よりも猿に近い同級生は、夜間には非常識な音量で喋っていて、すぐに発見できた。

発見の次は、捕獲である。清四郎は、猿のごとき娘に声をかけようとして―― 止めた。

 

猿―― もとい悠理は、電柱と喋っていた。

 

いや、正確には、電柱の後ろにある空間に話しかけていた。

よくよく観察してみれば、多少混乱気味ではあるものの、実に自然な受け答えをしている。どうやら、気が障れたわけではないらしい。

 

そこで、少し考えてみる。

今日の放課後、悠理は寒気を訴えていた。

下校してかなりの時間が経過しているのに、まだ制服を着ている。

そして―― 見えざる何者かと、会話をしている。

悠理の体質なども考慮したうえで、導き出せる答は、ひとつしかない。

 

「悠理。幽霊に関する相談なら、いつでも受けますよ。」

話しかけると、悠理は滑稽なほど飛び上がって驚いた。

 

 

「えーと、こっちは清四郎。あたいのダチ。で、こっちが明良。吉野橋明良だっけ?ああ、うん。なに?なんだよ、お前、緊張してるのか?」

存在しない何者かを紹介し、何もない空間に向かって相槌を打つ悠理は、明らかに妙な人だった。

清四郎は、頬が引き攣りそうになるのを堪え、悠理に状況説明を求めた。が、悠理は、説明の途中で何度も何もない空間に向かって喋り出し、なかなか話が進まない。

それでも我慢強く話を聞き、すべてを聞き終えたときには、次の日になっていた。

 

「・・・要するに、交通事故で他界した吉野橋明良くんは、この世と決別するため、生前に想いを寄せていた野梨子に、クリスマス・イブの夜、僕たちの学園にある、伝説の銀杏の下で、想いを告げたい、と。」

「そうそう!そうなんだ!」

頷きながら、悠理が身を乗り出してきた。

清四郎には、彼女の隣に、軽そうな男子学生が同じポーズをしている幻が、見える気がした。

「お前もさ、こいつの告白に協力してくれよ!」

「どうやって?」

「へ?」

間抜け面を晒す悠理を、清四郎は冷ややかに見下ろした。

「まさか野梨子に「幽霊が告白したいそうだ」とでも伝えるのですか?そんな突拍子もないことを言われたら、野梨子でなくても怖がりますよ。逆に、何も言わずにいたとしても、悠理に愛を囁かれたら、野梨子はもっと気味悪がります。」

清四郎の説明を聞いて、悠理は沈黙した。悠理が沈黙しているということは、恐らく、明良も黙り込んでいるのであろう。

しばしの沈黙のあと、清四郎は静かに喋りはじめた。

「確かに、吉野橋くんには同情しますが、単純に告白すれば済む話ではないのですよ。辛辣な言い方かもしれませんが、悠理が何もない空間と喋ってばかりいたら、精神状態を危ぶまれて、病院へ連れて行かれるでしょうし、吉野橋くんの存在を信じる人間が現れれば、除霊されてしまうかもしれません。万事が万事、上手く運ぶと信じてるならば、それは非常に甘い考えです。」

悠理が俯いた。膝の上で握った拳が震えている。泣かせたかと心配になった清四郎は、彼女に近づいて、顔を覗いて涙を確かめようとした。

 

そのとき、悠理が凄い勢いで顔を上げた。

清四郎の頬や鼻を、柔らかな栗色の髪が掠める。

瞳の奥まで覗けそうな至近距離で、眼と眼が合った。

 

「うわ!」

「うぎゃ!!」

二人は同時に驚きの声を上げて、後ろに退いた。

一メートルほど離れた状態から、互いの顔を見つめあう。

悠理の瞳に涙はない。代わりに、顔が異常なほど赤く染まっていた。

「―― すみません。」

清四郎は平静を取り繕って、彼女から顔を逸らした。自分も赤くなっていそうで、さり気なく頬に触れてみる。幸いにも、頬は過剰な熱を放っていないようだ。

「い、いきなり顔を覗くなよ!吃驚して心臓が口から飛び出るかと思ったぞ!」

悠理が手を使って、自分の顔をぱたぱた扇ぐ。すると、今度は、隣の空間を向いて、うるさいんだよ!と叫んだ。どうやら明良にからかわれているらしい。それにしても、一人で喋る姿は不気味である。

 

が、今の清四郎は、そんなことに構っていられなかった。

彼女が横を向いた拍子に、細い首や耳朶が、ほんのり桜色に染まっている様子が見え、何故だか酷く動揺していたのだ。むろん、ポーカーフェイスだけは、必死の思いで守り通したけれど。

 

悠理は友人だ。仲間だ。悪友だ。しかも、野生の猿並みに手に負えない。

そんな奴に「女」を感じるだけ損である。

 

清四郎は、こほん、と咳をしてから、悠理の名を呼んだ。

「話を元に戻しましょう。いいですか?誰だって、まったく関係のない死者から想いを寄せられていると知ったら、気味が悪い。ですが、人間の情からすれば、多少なりとも面識、もしくは認識があれば、感慨も浅からぬものになるでしょう。」

「???」

顔じゅうにクエスチョンマークを浮かべている悠理を見て、清四郎は深々と息を吐いた。

「例えば、です。メキシコで、ホセさんという45歳の男性が亡くなった、と聞いたら、悠理は哀しいですか?」

「ぜんぜん。」

「でも、実は、ホセさんが、悠理の家で年に一回行われるメキシカンパーティを取り仕切る、総料理長だったとしたら?」

万作は、月に一度、様々な国の日を決めて、その国の料理や風習を取り入れたパーティを開く。中でも悠理のお気に入りは、中国とメキシコであった。

「もう、あの絶品料理を食べられなくなるの?それは哀しいかも。」

本当だと勘違いしているのか、悠理は眉を八の字に歪めて、哀しそうな表情をしている。

「要は、親近感です。」

清四郎は、立てた人差し指を振りながら、説明を続けた。

「野梨子だって、まったく知らぬよりも、多少は知った相手のほうが、親近感を抱きやすいはずです。それに、野梨子は潔癖症ですから、いきなり赤の他人、それも死者から告白されれば、確実に拒絶します。ですから、いきなり告白するより、多少なりとも吉野橋くんの人となりを知ってもらったほうが良いのではないですかねえ。幸いにも、イブまであと一週間ありますし、吉野橋くんの印象は、いくらでも良くできます。」

「・・・お前、やっぱり頭いいなあ・・・」

悠理が溜息混じりに呟く。そして、何もない空間に向かって、声をかけた。

「こいつ、頭いいだろ?明良もそう思うだろ?意地悪だけど、頼りになるんだ!」

嬉々として喋る悠理を見ていたら、何となく気分が悪くなってきた。

それは、幼い頃、お気に入りの本や文具を、姉に取り上げられたときの気持ちと、どこか似ていた。

 

 

演技の下手な悠理のこと、明良の存在を隠そうとしても、十中八九は無理であろう。仲間には、告白の件だけ伏せて、あとは正直に打ち明けようと決めた。

そして、明日から―― 日付は変わっているので、正確には今日から六日間、悠理と清四郎(と、明良)は、行動をともにすることにした。

悠理は、公道の真ん中でも、明良とも平気で会話していたのだ。このぶんでは、雑踏の中でも同じことだろう。そのため、悠理が妙な眼で見られぬように、清四郎が行動をともにすることにしたのだ。

 

明良からも、新たな申し出があった(らしい)。

明良の写真を入手するついでに、女手ひとつで育ててくれた母親に感謝していると伝えて欲しいこと。そして、工事現場のバイト代で、白百合ちゃんこと野梨子へのプレゼントを準備して欲しいこと。

少々難問ではあったが、悠理が快諾したため、清四郎も渋々ながら承諾した。

 

「んじゃ、あたい、帰るね!」

相談が纏まり、悠理が帰宅のために立ち上がる。

そして、何もない空間を見て、眼を丸くした。

「あれ?お前も帰るの?そっか、あたいに憑いてるんだもんな。」

 

そこで、清四郎は、はっとした。

憑依しているということは、明良は、四六時中、悠理とともにいるのだ。

寝室だけでなく、風呂場や、それこそトイレまで。

 

清四郎は無言で立ち上がると、クロゼットから取り出した衣類をバッグに詰めはじめた。

「何してんの?」

背後から聞こえる悠理の問いに、振り返らないまま、答える。

「今日からイブまで、僕も悠理の部屋に泊まります。」

そう。悠理の「家」ではなく、「部屋」に。

「ええ!?イヤだよ!何で清四郎と寝なくちゃならないんだよ!」

「悠理がずっと独り言を言っていたら、ご家族も心配されるでしょう?念のため、用心のため、です。」

「ええ〜 あたいだけも平気なのに。なあ、明良?」

何故か、その言葉が、とても癇に障った。

「ほら、行きますよ。名輪さんは帰したんでしょう?大通りまで出て、タクシーを拾いますよ。」

清四郎は、嫌がる悠理に自分のコートを被せ、彼女を引き摺りながら、家を出た。

 

外には、冬独特の透明な夜空が広がっていた。

 

 

 

 

  

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