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BY hachi様 (原案:ネコ☆まんま様)
寝不足のせいか、翌朝の目覚めは、すこぶる悪かった。 当然である。 悠理はベッドの上で、爆発した頭をぼりぼり掻きながら、部屋の隅にあるソファを見た。 昨日、明良が寝転がっていたソファに、今朝は、清四郎が眠っている。 清四郎は、窮屈そうに長い足を折り曲げて、ソファから落ちないよう、背凭れに頭や肩を寄せていた。寝苦しいのか、眉根に一本、皺が寄っている。 ゲストルームを準備させると言ったのに、ソファで寝ると言ってきかなかったのだから、自業自得ではあるが、何となく申しわけない。 ちゃんと睡眠を取ったはずなのに、身体の中心に疲れがこびりついている。男を男と思わぬ悠理だが、年頃の男性と寝室を共にすれば、緊張のひとつもするだろうから、当然だ。 「まったく・・・清四郎も何を考えてるんだか・・・」 のろのろと立ち上がって、洗面所へと向かう。清四郎から小言を喰らう前に、早いところ身支度を済ませてしまおう。 シャワー台に頭を突っ込み、髪を洗っていて、ふと気づいた。 美童と同室でも、魅録とキャンプをしても、熟睡できたのに、清四郎とでは寝不足になったのは、どうしてだろう・・・? 「おう!おーはーよっ!!」 髪を洗っている最中に、何の前触れもなく、背後から声をかけられるのは、存外に恐ろしい。悠理は、うひゃあ、と妙な声を上げて、振り返った。泡混じりの水滴が、滝となって、一気にパジャマへと流れ落ちる。 背後には、陽気に手を振る明良がいた。 「驚かすなよ!登場するなら言ってからにしてくれ!」 「どのみち声をかけるのは同じじゃん。」 そのとき、ドアの向こう側から、どたばたと喧しい足音が聞こえた。 「悠理!大丈夫ですか!?」 声とともに、必死の形相をした清四郎が飛び込んできて、悠理はまた吃驚した。 「な、何だ!?どうかしたのか?清四郎!」 清四郎は、頭から泡混じりの水滴を垂らす悠理を見て、ほっと息を吐いた。 「良かった。不埒を働かれたわけではなさそうですね。」 清四郎が使う言葉は、難しすぎて、悠理には分からないことが多い。 「不埒を働かれた?どういう意味?」 「分からないなら結構です。それはそうと、吉野橋くんもここにいるのですか?」 「うん、いるよ。」 悠理が明良を指すと、清四郎はそちらに鋭い視線を送った。明良が見えているはずはないのに、ちゃんと眼が合っている。 明良のほうは、いきなりガンを飛ばされ、いったんは受けて立とうとしたものの、清四郎の静かな迫力にすっかり気圧されている。 「なんだよ、なんで俺が優等生くんにガンを飛ばされなきゃなんねーんだよ!?」 明良は、情けない声を出して、悠理を振り返った。 「吉野橋くん、僕と一緒に部屋へ戻りますよ。悠理からも、彼にそう言って下さい。」 悠理には、清四郎が何故にそう言っているのか理解不能だったが、不機嫌オーラを発散させている彼に逆らえば、後からどんなお仕置きを喰らうか分からないので、素直に言うことを聞いて、嫌がる明良を促した。 洗面所を出てソファまで戻ると、清四郎は後ろを振り返って、明良がいるであろう空間を睨みつけた。 「吉野橋くん。聞こえていますね?今後、悠理が入っているときは、洗面所やバスルーム、もちろんトイレにも近寄らないで下さい。」 清四郎の眼には、誰の姿も映っていない。 部屋の中は、しんと静まり返っており、窓から差し込む朝の斜光が、豪奢な家具を柔らかに照らしているだけだ。 「宜しいですか?万が一にでも、君がそれを破った、そのときは―― 」 清四郎の双眸が、す、と細くなる。 悠理がそれを見ていたら、急激に室温が下がったと錯覚しただろう。 「―― ただでは済まないと、覚悟しておいて下さい。」 それだけ言うと、清四郎はふたたびソファのほうを向いて、着替えはじめた。 彼の背後では、物音ひとつしない広い部屋が、ただ朝日を浴びていた。 その日、すべての授業を無事にやり過ごし、悠理は安堵に胸を撫で下ろしながら、部室へと急いだ。 何ゆえに、事なきを得られたか、理由は簡単である。 明良がずっと野梨子のクラスを覗いていたから、悠理は煩わされることも、惑わされることもなく過ごせたのだ。 「白百合ちゃん、やっぱ可愛いよな〜!眼なんか、後ろから頭を叩いたら、ぽろっと落ちそうなくらい大きくて、お肌はつるつるもちもちの真っ白!胸が寂しいのはアレだけどさ、そのぶん、育て甲斐があるってヤツ?」 足早に廊下を抜ける悠理の隣で、明良は先ほどからずっと野梨子のことを喋っている。煩いことこの上ないが、このお調子者の口を塞ぐ術はない。 「・・・お前、そんなこと清四郎の前で言ったら、間違いなく殺されるぞ。」 「大丈夫大丈夫!優等生くんには、俺の声なんて聞こえねえもーん!今日もさ、授業中に優等生くんの机の上で、お尻ペンペンしてみせたけど、あいつ、まったく気づかないでやんの!」 ―― もしかして、生きていたとき「馬鹿」って言われてなかった? 咽喉まで出かかった質問を呑み込んだのは、質問するのも馬鹿らしいと思ったからだ。 はあ、と溜息を吐きながら、悠理(と明良)は、部室のドアを開けた。中には既に全員が揃っており、悠理(と明良)は、いっせいに視線の集中砲火を浴びた。 ごくん。明良が息を呑む音が聞こえた。 それを聞いたら、何故か悠理まで緊張してしまい、二人は同時に身を震わせた。 明良の想い人の名前だけ伏せて、あとは洗いざらい事情を説明すると、仲間たちはそれぞれに違う反応を見せた。 「死んでも好きな娘に想いを伝えたいっていう気持ち、よく分かるなあ。」 そう呟いて自己陶酔の世界に浸っているのは、もちろん美童。 「そいつ、気持ちの整理もできないまま死んだんだろ?同情しているわけじゃないけどさ、俺たちが協力することで、納得して彼の世に旅立てるなら、力を貸すぜ。」 もともと男の友情に篤い魅録である。バイク好きの明良にも、親近感を覚えたようだ。 「女手ひとつで育ててくれたお母さんに、感謝の気持ちを伝えたいってところが立派だわ!」 可憐は情に厚く、そして母親思いだ。自分が先立った場合を想像しているのであろう、先ほどから涙ぐんでいる。 そして、野梨子は―― 「そのかたは、本当に悠理や私たちに危害を加えませんの?それが約束されない限りは、協力しかねますわ。」 警戒心を含んだその言葉に、一同の雰囲気が変わった。 一様に、視線をあらぬほうに向けて、沈黙する。それぞれに、今まで巻き込まれた心霊現象を思い返しているのだろう。その証拠に、皆の眉間に刻まれた皺が、だんだんと深くなってきている。 見る見るうちに変わっていく彼らの表情に、明良の顔から、調子の良い笑みが消えた。 その顔は、捨てられた仔犬みたいに、哀しげだった。 悠理だって、仲間たちの気持ちはよく分かる。 幽霊絡みの事件では、悠理が一番怖い目に遭ってきた。だからこそ、二度と幽霊とは関わりたくないと思っている。でも―― 「明良はイイヤツだよ!絶対に悪さなんかしないって!」 両手を広げて、必死の思いで仲間たちに訴える。 「こいつ、悪いことなんかできるタイプじゃないもん!あたいが約束する!だから、ねっ!?」 「―― 霊感の強い悠理が、損得抜きで大丈夫だと言っているのですから、信じてあげましょう。」 室内に、清四郎の低い声が響いた。 そこで、ようやく停滞していた空気が流れ出した。 「清四郎が言うのなら、大丈夫だね。」 「ま、何かあっても、俺らなら何とかできるさ。」 美童と魅録が、揃って肩を竦める。 「私も、清四郎と悠理を信じることにしますわ。」 野梨子がにっこりと笑う。 「ねえねえ、その明良ってコ、どんな感じなの?カッコいい?」 いかにも可憐らしい質問に、一同が苦笑を漏らす。 悠理は明良を見て、うーん、と悩ましげな声を上げた。 「調子が良くて、頭が悪そうな感じ。」 「何だよそれ!もっとまともな紹介してくれよ!!」 明良が悲鳴混じりに叫んだ。が、もちろん、悠理以外の誰にも聞こえてはいない。 「野梨子、可憐。予定がないのなら、ちょっと付き合ってくれませんか?吉野橋くんの想い人へのプレゼントを選びたいので、女性の意見を聞きたいのですよ。この手の件では、悠理の意見などまったく参考になりませんので。」 野梨子から欲しいものを聞き出すのが目的なので、可憐まで誘う必要はないのだが、一人だけ誘うのも不自然なので、二人とも誘うことにしたのだ。 清四郎の申し出を、二人は快く引き受けた。その隣で、悠理が口と眉をへの字に曲げて、不満を露わにしていたが、清四郎は見ようともしなかった。 校門の前で魅録と美童の二人と別れ、一行は、クリスマス商戦真っ盛りの街へと繰り出した。 「男性からプレゼントされて嬉しいのは、やっぱり宝飾品かバッグよねえ。ケリーなんて貰えたら、すごく嬉しいわ。」 赤と緑で彩られたショウウインドウを覗き込みながら、可憐がうっとりと呟く。 それを聞いた明良が、悠理の耳元で囁いた。 「この女、マゾか?」 「はあ?何言ってんだ、お前?」 「だって、『蹴り』が欲しいんだろ?」 悠理がそれをそのまま皆に伝えると、大爆笑が湧き起こった。 「可憐に蹴りを入れたら、それこそ末代まで祟られますよ。」 「ちょっと清四郎!失礼なこと言わないでよ!」 「可憐もどうかと思いますわ。普通の男子高校生に、ケリーバッグをねだるほうが間違っていますもの。」 野梨子が困ったように微笑みながら、悠理を振り返った。 「どんな女性でも、心が篭もったプレゼントなら嬉しいと思いますわ。背伸びをして高価なプレゼントをするより、等身大のプレゼントのほうが、受け取るほうも気を使わずに済みますし。ですから、吉野橋くんも、あまり気張らないでくださいな。」 「し、白百合ちゃん・・・」 感動で声を詰まらせる明良をよそに、会話はどんどん進んでいく。 「参考のために聞きますが、野梨子なら、男性に贈られて嬉しいものは何ですか?」 「別に・・・欲しいものなんて特にありませんし、男性からの贈り物を受け取る気もありませんもの。」 「でもさ、野梨子だって、欲しいものくらいあるだろ!?」 堪らずに悠理が口を挟むと、野梨子は小首を傾げて考えてから、こう答えた。 「一番欲しいのは、碁盤ですかしら?」 「は?」 「本榧の四方柾、姿の美しい七寸盤の名品が手に入れられたら、これほどの幸せはありませんわ。」 恍惚の表情で話す野梨子に、明良を含めた全員が唖然としたのは、言うまでもない。 その夜もまた、悠理の部屋には、清四郎がいた。 最初は、清四郎も、役目を可憐か野梨子に振ろうとしたのだ。が、可憐からは「幽霊と一緒に寝たくない。」と断られ、野梨子からも「明日からの土日は、父のお供で名古屋に行くので無理。」と、清四郎の願いは一蹴された。 悠理が「あたい、ひとりで寝れるのに。」と言うと、「何が何でも、駄目なものは駄目です。」と、訳の分からぬ答が返ってきた。 清四郎がゲストルームのシャワーを使いに出た直後、悠理は溜息を吐くとともに脱力して、ベッドに突っ伏した。 「なんで一人きりにさせてくれないんだよ〜?」 悠理の隣には、当然の如く明良が腰掛けていた。たった一日で、すっかり悠理の部屋に馴染んでしまったようだ。 「ま、男には男の事情ってもんがあるのさ。」 「どんな事情だか知らないけど、勘弁してくれよぉ。」 悠理が愚痴ったのには訳がある。今朝から、妙に身体がだるいのだ。それに、朝と比べると、だるさが倍増している。本当は、今すぐにでも布団に潜り込みたい気分だ。 そんな悠理の気も知らず、明良が遠い眼で呟く。 「・・・なあ、悠理。白百合ちゃんも、お前みたいに金持ちなのか?」 悠理は枕を引き寄せながら、面倒臭そうに、答えた。 「金持ちっていうか、あいつは真性のお嬢さまだぞ。先祖を辿れば江戸時代より前まで分かるって言ってたからな。」 何気なく答えたのだが、明良はその言葉を重く受け止めたようだ。 「そんなお嬢に、俺が何を送っても、無駄だよなあ・・・」 明良は、天井を眺めながら、そう呟いた。 少しの、沈黙。 「・・・あの優等生くん、悠理のこと好きなんじゃねえか?」 悠理が、その言葉を理解するには、数秒の間を要した。 「えええええ!?」 ベッドから跳ねて起き、そのまま後方へ退く。 「そんなワケないじゃん!だってあいつ、あたいを玩具がペットとしか思ってないもん!あたいのこと、す、す、す・・・」 たった二文字がどうしても言えない。それに、どういう訳か、顔はかっかと熱いし、心臓はばくばく鳴っているし、頭の中はかなり混乱している。 「あれれ?もしかして、悠理も・・・」 「んなワケないじゃん!馬鹿たれ!!」 悠理は枕を掴むと、明良に向かって思い切り投げつけ、そのままベッドの中に潜り込んだ。 明良から幾度も声をかけられたけれど、悠理は答えなかった。 清四郎が戻ってからも、頭からシーツを被って、決して顔を合わそうとはしなかった。 やがて、清四郎も諦めたのか、照明が消え、部屋の中が静かになった。 しかし、いくら時間が経っても、胸のどきどきは治らず、顔も火照ったままである。 清四郎が、あたいを好き。あたいも、清四郎を―― 明良の台詞が耳から離れない。忘れたいのに、忘れられない。 悠理は布団の中で膝を抱え、怯える子供のように身を丸めた。
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