12月の奇跡 

<4>

BY hachi様 (原案:ネコ☆まんま様)

 

 

翌日、清四郎と悠理(と明良)は連れ立って、吉野橋家へと向かった。

 

路地裏の、小さなアパート。二階の端から二番目の部屋には、線香の煙と、哀しみが染みついていた。

 

二人は真新しい位牌に手を合わせてから、改めて明良の母親に挨拶をした。名乗るまでもなく、母親は二人の年恰好から、勝手に友人と解釈してくれたようで、まったく怪しまれはしなかった。

母親は、やつれた笑顔で、初七日も無事に済んで安心したと話しながら、茶を淹れてくれた。明良は、そんな母の姿を、くちびるを噛んで、じっと見つめていた。

 

明良は、母一人、子一人だと言っていた。悠理に、子に先立たれた母の気持ちなど分かろうはずもないが、それでも彼女から漂う哀しみの気配には、胸を打たれた。

「やんちゃで馬鹿な子でしたけど、思い遣りは人様以上にあったんですよ。最期も、他人を巻き込まずに、ひとりで死んだのですから、偉いものですよ。」

無理に明るく振舞う母親の姿に、悠理は涙を堪えることができなくなった。

清四郎の手が、悠理の背中を、優しく叩く。悠理は溢れる涙を拭きながら、清四郎の腕に、そっと頭を寄せた。それだけで、何故か、心が和いだ。

 

 

清四郎が、明良の部屋が見たいと申し出た。母親は快諾してくれ、二人は明良の部屋に通された。

部屋には、いつの間に入ったのか、明良がいた。

「・・・明良、平気か?」

悠理が問うと、明良は、へへ、と力なく笑った。そして、自分のベッドに腰掛け、母ちゃん痩せたな、と、呟いた。俯いた肩に、複雑な心境が表れている。それが分かったところで、どう慰めればいいというのか。悠理は黙ったまま、明良の姿を見つめていた。

 

二人は、明良の指示に従って、押入れの奥を探り、バイト代を貯めていたナッツの缶を取り出した。

「これが、野梨子へのプレゼント代ですね。」

半透明の蓋を取らずに中を覗くと、結構な額のお金が入っているのが見て取れた。

「これだけあれば、結構なもんが買えるじゃん!」

悠理が嬉々として蓋を取ろうとしたとき、明良がぽつりと言った。

「白百合ちゃんは、お嬢さまなんだろ?」

「え?」

明良はベッドに腰掛け、項垂れたまま、言葉を続けた。

「冬なのに、手もつるつるだったもんな。洗い物なんかしなくても、お手伝いさんが洗ってくれているんだろうな。」

たぶん、その通りだ。悠理の家と同じく、野梨子の家にも、家政婦がいる。いくら野梨子が家事をまめにやると言っても、洗い物は家政婦に任せているだろう。

 

明良が顔を上げた。そこには、満面の笑みがあった。

「やっぱり、イイや!」

大仰な動作で立ち上がって、へらりと笑う。

「白百合ちゃんにはさ、小っちゃい花束でも上げてくれよ。」

「え?何で??」

悠理の視線から逃れるように、明良は狭い部屋を横断した。

「だって、あの娘の欲しいものなんて、きっと俺のバイト代じゃ買えないだろうしさ。それに、白百合ちゃんは何不自由ない生活をしてるみたいだし、プレゼントなんて貰わなくても、欲しいものは手に入れられるじゃんか。」

明良はそこで言葉を区切ると、視線を床に落とした。

「・・・でさ、花束を買って、残った金は、母ちゃんにあげてくれるか?」

きゅ、と真剣な眼差しが、悠理に向けられた。

その瞳に、遣り切れない想いを見つけ、悠理は言葉を失った。

 

明良は、悔いているのだ。

母より先に死んでしまったことを。

母に何一つしてやれぬまま、死んでしまったことを。

そして、いくら悔いても、もう、どうしようもない身の上になってしまったことを。

 

「彼が、何か言っているのですか?」

清四郎が問う。悠理は泣きそうになるのを堪えながら、野梨子には小さな花束を買って、残りの金を母親に渡して欲しいとの旨を伝えた。すると、清四郎も、明良の心中を察したのか、秀麗な眉を顰めたまま、沈黙してしまった。

 

 

しばらくして、清四郎が立ち上がった。襖を開けて、母親を呼ぶ。

入ってきた母親の前に、ナッツの缶を差し出す。中身が何か分からないのか、母親は戸惑っていたが、半透明の蓋から中を覗いて、はっと息を呑んだ。

「これは、明良くんがバイトをして貯めたお金です。」

清四郎が、説明をはじめる。

「明良くんには、好きな娘がいました。このお金は、その娘へのクリスマスプレゼントを買うために、工事現場で働いて貯めていたものです。僕たちは、そのことと、お金の保管場所を、彼に聞いていました。」

「そう、ですか・・・」

母親は、愛しげに缶を撫でながら、か細い声で言った。

「十二月に入ってすぐでした。僕たちは街で偶然彼と会い、一緒にお茶を飲みました。そのとき、明良くんが妙なことを言い出したのです。」

清四郎が、ちらりと悠理を見た。もしかしたら、悠理越しに、明良を見たのかもしれない。

「―― もしも俺が死んだら、今までのバイト代を押入れの何処其処に隠しているから、それをそのまま母親に渡して欲しい。好きな娘には、その中から小さな花束でも買って、渡してくれないか。やけに真剣な顔で、僕たちにそう言っていました。もしかしたら、明良くんは、自分の死期を悟っていたのかもしれません。」

缶を撫でていた手が、小さく震えはじめた。泣いているのだ。

「・・・馬鹿な子ですね・・・こんな金を貰ったって、嬉しくありませんよ・・・どんなに馬鹿な子でも、生きてさえいてくれれば、それで良かったのに・・・」

 

俯いて、声を押し殺し、母は、静かに泣いていた。

 

不意に、悠理の眼から、大粒の涙が零れた。

缶を撫でる母の手に、自分の重ねて、ぎゅっと握り締める。

「・・・明良、謝ってた・・・親孝行もできなくて、ごめんって・・・今まで育ててくれて有難うって、言いたかったのに、言えないままで、ごめんって・・・」

言葉と一緒に、気持ちがどっと溢れてきて、止まらなくなった。

「悪さばかりしていて、ごめん・・・馬鹿をやるたび大家に嫌味を言われて、頭を下げさせて、ごめん・・・仕事が忙しいのに、いっつも学校に呼び出されて、それで会社からも嫌味を言われて・・・本当はずっと謝りたかったのに、謝れなくて、ごめんよ。」

悠理は母親に抱きついて、泣きながら謝り続けた。

「お、お嬢さん・・・」

「せっかく買ってくれた参考書を、読まずに破って捨てて、ごめん。母ちゃんが作ってくれたメシを喰わずに、ハンバーガー喰って、ごめん。母ちゃん頭痛いって言ってたのに、皿洗いも手伝わなくて、ごめん。母ちゃんのお気に入りだった皿を、灰皿にして、ごめん。ダサいババアだなんて言って、ごめん。」

悠理の腕の中で、母の身体から、力が、抜けた。

「・・・明良・・・?」

「本当に、馬鹿な息子でごめんよ。でも、もう、俺のために謝らなくてもいいから。俺のために頑張らなくてもいいから。今からは、自分のために生きてくれよ。俺、母ちゃんの子供に生まれて、幸せだった。すげえ幸せだった。だから、母ちゃん・・・俺のぶんまで、幸せになってくれよ・・・」

瞬間、意識が遠のいた。

「・・・母ちゃん、有難う・・・」

「明良!?」

「悠理!!」

悠理はそのまま崩れ落ち、床の上に倒れ込んだ。

 

 

 

 

「完全に意識がシンクロしていましたね。まったく、厄介な体質です。」

清四郎は、背中に負った悠理に向かって、皮肉混じりに話しかけた。

「うるさいなー。目的は無事に果たせたんだから、別にいいじゃん。」

悠理は、清四郎の背中に負われた状態で、くちびるを尖らせた。

 

憑依されると著しく体力を消耗すると分かっていたが、今回は特に酷かった。眩暈はするし、足に力が入らないし、まともに立ってもいられない。そのせいで、悠理は清四郎に負ぶわれているのだ。

「悪い、母ちゃんを見てたら、堪らなくなって・・・」

清四郎に一歩遅れた位置で、明良が謝罪する。悠理が、別にいいよ、と笑うと、何故か清四郎が反応した。

「吉野橋くんが謝っているのですか?」

「うん。お母さんを見ていたら、堪らなくなったんだって。」

「まあ、彼の気持ちも分かりますけどね。」

それ以上、清四郎は何も言わなかったけれど、悠理の衰弱ぶりを見て、明良に怒りを抱いているのが、行動の端々に表れていた。それは、清四郎が、悠理に好意を抱いているからなのだろうか?

 

清四郎は、悠理を好き―― 昨夜、明良から言われた言葉を思い出し、面映くなる。

 

もしも、本当にそうなら、どうだろう?

清四郎が、悠理を想ってくれているとしたら―― 考えた途端に、胸が、ずくん、と甘く疼いた。それは、幸せな痛みを伴った疼きで、まったく嫌とは感じなかった。

何故だろう?もしかして、悠理は、清四郎が好きなのだろうか?

仲間としてではなく、ひとりの異性として、彼を捉えているのだろうか?

清四郎を好きだから、彼の背中が、こんなに心地良いのだろうか?

 

考えを巡らすうちに、眠気が襲ってきた。

悠理は、清四郎の肩に頭を乗せた状態で、心地良いまどろみへと誘われた。

 

まどろみの中で、明良の声が、聞こえた。

 

「お前、すげえイイヤツだな。俺みたいなロクデナシのために一生懸命頑張ってくれたり、母ちゃんのために泣いてくれたり・・・生きているうちにお前と会っていたなら、俺はきっとお前に惚れていたぜ―― 」

 

「・・・馬鹿、言うな、よ・・・」

清四郎の背中は広くて、心地良い。

悠理は、清四郎の気配に包まれながら、眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

月曜日。

一同は、テーブルに置かれた明良の写真を覗きこんだ。

「あら、可愛い顔してるじゃない。」

「僕ほどじゃないけどね。」

自慢の金髪をさらりと掻き揚げて、ナルシスの世界に飛び立った美童を無視して、意見の交換はつづく。

「いかにもヤンチャって感じだな。でも、性格は良さそうじゃねえか。」

「芯からの不良という感じではありませんのね。」

「実際、イイヤツだぞ。母ちゃん思いだし。」

「学校の成績は、低迷を極めていたらしいですけどね。」

「あ、明良が清四郎に『成績のことは言うな』って言ってるぞ。」

「成績も、人となりを知る重要な要素です。」

「清四郎の場合、成績の良さのお陰で、その捻くれた性格がカムフラージュされてるわよね。」

「可憐、それは誉め言葉として捉えて宜しいのですか?」

一同に、笑いが湧き上がる。

清四郎も微笑みながら、横目でそっと悠理を見た。

楽しげにきゃっきゃと笑っているが、その顔は青白く、精彩にも欠けている。

 

家に戻ったあとも、悠理は死んだように眠り続けた。

翌朝は、何事もなかったかのように起きてきたが、目の下には隈が浮き、肌の色も、病人のように褪めていた。そのため、日曜日は大事を取って休ませていたのだが、悠理の様子は元に戻らない。それどころか、余計に酷くなっている。

 

考えられる原因は、ひとつしかない。

明良が憑依しているせいだ。

 

だが、それを言ったところで、すっかり明良に同情している悠理が、彼を祓うはずがない。逆に、頑なになって、清四郎を拒むかもしれない。

 

何故だろう?

どうして、悠理に拒まれるのが、怖いのだろう?

本当は、今すぐにでも、明良を排斥したい。悠理から、彼を引き剥がしたい。

なのに、そのせいで悠理に嫌われるのが、笑えるほどに怖かった。

清四郎は、上辺だけの笑みを浮かべて、必死に答を模索していた。

 

 

魅録が写真を手に取り、眼の高さまで持ち上げた。

「昨日、ダチに調べてもらったんだけどよ、こいつ、馬鹿ばっかりやってたわりに、悪事には手を出さなかったそうだ。きっと、根が真面目だったんだな。仲間内の評判も上々で、とにかく面白いヤツだったって、皆、口を揃えて言ってたそうだ。でも、女にはオクテだったみたいだぜ。いつも男友達とツルんでたらしいし、女と遊ぶときは、グループで遊んでたっていうからな。」

「まあ、まるで魅録のような殿方ですのね。」

野梨子が感心したように呟く。すると、可憐が、違うんじゃない?と言って、魅録の手から写真を奪い去った。

「このコは悪いことしなかったんでしょ?魅録なんて、泥棒に誘拐、家宅侵入なんてお手の物じゃない。一緒にしちゃ可哀想よ。」

「うるせえ。それを言うなら、ここにいる全員同罪だろ。」

「同じじゃないよ。一番の悪党は、そこにいる誰かさん。僕たちとは格が違うよ。」

美童が、ちらりと清四郎を見る。ぷっと吹き出す仲間たち。

清四郎は彼らを無視して、窓辺へ視線を向けた。

 

外には、気の早い薄暮が押し寄せている。

クリスマスイブまで、あと三日。

それまで悠理の体力は持つのだろうか?

 

脇腹をつつかれ、我に返る。

振り返れば、間近に悠理がいた。

悠理は軽く背伸びをして、清四郎の耳にくちびるを寄せてきた。

微かな吐息が耳朶にかかり、心臓がどくんと鳴る。

「野梨子、いいカンジじゃん。けっこう明良を気に入ったみたいじゃないか?」

「ええ、そうですね。」

跳ねる心臓を、制服の上から押さえつけ、さり気なく相槌を打つ。

「明良も嬉しいだろ?あと三日、がん、ば、―― 」

悠理の身体が、大きく揺れた。

咄嗟に清四郎が抱きとめていなかったら、そのまま床に崩れ落ちていただろう。

 

「悠理!?」

 

悠理の意識は、なかなか戻らなかった。

 

 

 

 

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