12月の奇跡 

<6>

BY hachi様 (原案:ネコ☆まんま様)

 

 

運命の、クリスマス・イブ―― 十二月二十四日は、二学期の最終日だった。

 

 

終業式のあと、悠理と清四郎は、いったん学園を出て、フラワーショップに向かった。

野梨子に似合いそうな、白とピンクを基調にした可愛いブーケを注文し、明良のバイト代で、支払いを済ませた。

 

仲間たちとは、夕方―― 日没の直前に、中庭の銀杏の前で待ち合わせている。彼らには、そこに明良の想い人を連れてゆくと説明していた。

 

運命の時まで、あと少し。

悠理は、静かな高揚感を覚えていた。

自分が野梨子に告白するなんて、まだ信じられないけれど、短い一生で終わってしまった明良のために、下らない羞恥は捨てることにした。

 

 

悠理は、少しでも体力を温存するため、家に戻って、横になっていた。

清四郎が心配するから言わないでいるけれど、本当は、少し立っているだけで眩暈がするほど、身体は弱っていた。

でも、あと少し。悠理があと少しだけ頑張れば、明良は安心して旅立てるのだ。

 

「眠る前に、ホットミルクと、甘いお菓子でも貰ってきましょう。少し待っていてくださいね。」

清四郎が消えたあと、少しの静寂が、悠理を包んだ。

「・・・悠理、起きてるか?」

明良の、控え目な呼びかけに、悠理は眼を開けた。

「どーしたんだ?借りてきた猫みたいな顔をしてさ。らしくないじゃん。」

悠理が笑うと、明良も力なく笑った。

 

「もうすぐで、悠理ともお別れだな。」

「そうだな。」

「元気でやれよ。」

「分かってらい。」

「寝る前にケーキなんて喰ってたら、ブタになるぞ。」

「余計なお世話だ。」

「これからはさ、涎垂らして寝るのは止めろよ。」

「うるさい。」

「・・・優等生くんと、うまくいけばいいな。」

 

寂しげな声。悠理は、顔を上げて、明良を見た。

明良が、その顔に浮かべていたのは、今にも泣き出しそうな、儚い微笑。

あまりにも寂しげな微笑に、悠理は、何も言えなくなった。

 

「俺、馬鹿だし、頭悪いし、育ちも良くないけど、友達だけは、サイコーに恵まれていたって思うんだ。」

へへ、と笑ってから、明良は頭を掻いた。

「生きてるときも、いっつも友達と馬鹿騒ぎできたしさ。死んでからも、悠理に―― 悠理や、優等生くんたちに会えた。それって、サイコーに幸せじゃないか?」

窓の外に広がる空を見る眼は、酷く、遠い。

まるで、今から行く世界を、見ているように。

「・・・生きているうちに、悠理と・・・悠理たちと、会いたかったなあ・・・」

明良が呟いた言葉は、返答など必要としていない、自己完結の、独り言のように感じた。

 

明るい茶色の髪を揺らしながら、明良がこちらを向く。

その顔に、先ほどまでの憂いはない。

「俺が好きだった娘が自分だって知ったら、白百合ちゃんも驚くだろうな。」

悠理は、気づかなかった。明良が「好きだった」と過去形を使ったことに。

「せっかくだから、雪でも降ればいいな。ホワイトクリスマス!ロマンティックな響きだよなあ。雪が降ったらさ、俺もちょっと気取ってみようかな?あの大きな銀杏に雪が積もったら、きっと綺麗だぜ。そこでカッコよく告白なんてしたら、白百合ちゃんも、俺にぐぐっと傾くかも!」

けけ、と下品に笑うその姿は、無理に明るく振舞っているように見えたけれど、悠理は何も言わなかった。

 

だって、自分だって、明良と別れるのは、寂しかったから。

それを声に出したら、もっと寂しくなってしまいそうだったから。

 

明良は、ふう、と息を吐くと、毛足の長い絨毯に腰を下ろした。

ベッドに両肘をついて、悠理の顔を覗きこむその瞳は、今まさに捨てられようとする仔犬と同じで、無垢であるからこそ余計に哀しい色を湛えていた。

「あのさ、あの、実は、俺―― 」

そのとき、かちゃり、と音がして、ドアが開いた。

 

ドアの向こう側から、清四郎の端正な顔が現れた。

「お待たせしました。ちょうどマフィンが焼きあがったところで、熱々を四つばかり頂いてきました。悠理には、足りなかったかな?」

「足りなかったら、清四郎の腕に齧りついてやる。」

「僕の腕なんか、筋ばかりで、食べても美味しくありませんよ。」

清四郎は、くすくす笑声を漏らしながら、悠理が待つベッドへと、マフィンとミルクを乗せたトレイを運んできた。

 

ほんの僅かな時間、清四郎に視線を移していた間に、明良の姿は、どこかに消えていた。

 

 

 

 

夕方になっても、明良が望んだ雪は降らなかった。

 

予め、学年主任を通して教頭に、新春に開催される茶会の予算追加について、生徒会で臨時の会議を行いたい、と申告していたので、倶楽部のメンバーは、難なく冬季休暇中の学園に舞い戻ることができた。

いつも事件に巻き込まれる面子であり、学年主任も、教頭も、本心では許可などしたくはなかったろうが、悠理たちの背後で燦然と輝く親の七光りに、不本意ながらも屈服したのであろう。

 

 

一歩進むたびに薄暮が濃くなっていく、そんな暮れ時だった。

白い息を吐きながら、藍のグラデーションを描いた空を見上げれば、宵の明星がぽつんと寂しげに光っている。視線を下ろせば、植え込みの木々は黒々として、一足早く闇に溶けようとしていた。

 

悠理は小さな花束を抱いて、銀杏の木に凭れて座っていた。

傍らには、悠理の横にいるのが当然と言わんばかりの顔をした、清四郎が立っている。そして、悠理の正面、少し離れた場所には、明良がいた。

誰もが押し黙って、冬の音を聞いている。

まるで、この空気を壊すのを、怖れているかのように。

 

三人は、約束の時間よりも早くここにやって来ていた。

仲間たちも、まもなく集まるだろう。そして、野梨子に明良の想いを伝えれば、それですべては終わる。

違う。終わるのは、すべてじゃない。悠理たちは、イブが終わったあとも、笑ったり泣いたり、事件に巻き込まれて四苦八苦したり、とにかく色んな出来事を積み重ねてゆける。

でも、明良は違う。

明良は―― これで、本当にすべてが終わってしまうのだ。

 

本当は、自分の口を使って、自分の言葉で、好きな娘に想いを伝えたかっただろうに、今の明良には、そんな当たり前のことも叶わない。

悠理は生きている。だから、隣にいる情緒欠陥男に苛々はしても、焦ってはいない。

今日、想いが通じ合わなくても明日がある。明日が駄目なら、明後日。明後日が駄目なら、明々後日。生きているから、明日も、明後日も、明々後日もあるのだ。

 

「―― 来たようですね。」

清四郎の低い声が、凍てついた空気を震わせた。

振り返ると、四つの影が、薄暮の中に浮かんでいた。

 

 

 

 

この三日、清四郎は、ずっと考えていた。

どうして、自分のことは二の次にして、つきっきりで悠理の面倒をみているのかを。

悠理の家には、大勢のメイドがいる。それに、いくら衰弱しているとはいえ、元の体力が化け物じみているし、三度の飯もきっちり食べている。つまり、清四郎が泊り込む必要は、ほとんどないのだ。

それが分かっていながらも、どうしても悠理の傍から離れられなかった。

もちろん、悠理が口では強がりを言いながらも、酷く不安になっているのが、手に取るように分かったせいもある。だが、それだけが理由でないことは、清四郎自身が一番よく知っていた。

 

ただ―― 自問自答を繰り返しながら、悠理の世話を焼いてきた、この数日間が、珠玉の日々に思えて、それを失う明日を迎えるのが、酷く嫌だった。

 

 

仲間たちが、早足で近づいてくる。寒いから、ゆっくり歩いていられないのだ。

「あれ、ずいぶん早かったんだね。」

美童がいち早く清四郎たちに気づき、声をかけてきた。

清四郎は、微笑だけで返事をすると、立ち上がろうとする悠理に手を貸して、二人並んで仲間たちに向き合った。

「二人だけ?あのコの彼女は来てくれなかったの?」

「ううん、来てるよ。」

悠理は、野梨子を見つめ、可憐の質問に答えた。

「明良が好きな娘は、ここにいる。」

 

ざあっ。木枯しが、校舎と校舎の隙間を抜けて、中庭に吹きつける。

 

「明良が、明良が―― 俺が、好きなのは。」

 

悠理の身体が、ぐらり、と揺れた。

 

「俺が、好きなのは・・・」

 

 

 

 

小さい頃から、母一人子一人だった俺の家は、貧乏だった。

 

でも、クリスマスの朝になると、必ず枕元にお菓子の詰まったブーツがあった。

 

俺は、サンタさんからのプレゼントだって、無邪気に喜んでいたっけ。

 

本当は、母ちゃんが一生懸命稼いだ金で買ったのだろうけど、幼い俺が、そんなことを分かるはずもない。

 

嬉しさに顔を真っ赤に染めて、サンタのブーツを抱えながら、「母ちゃんはプレゼントを貰わなかったの?」と、聞いたら、母ちゃんは、いつもこう答えていた。

 

「お前の笑顔が、一番のプレゼントだよ。」

 

大好きなひとの笑顔を見る。

 

それが―― 最高のクリスマス・プレゼントだと。

 

 

 

 

ブーケを持った悠理の手が、ぶっきらぼうな動作で、前に突き出された。

花束の前には、野梨子の吃驚した顔。

「え?」

「これ、お前のための花束だ。」

「え?え?え?」

戸惑う野梨子にブーケを押しつけ、悠理は―― 否、明良は、にかっと笑った。

「俺、本屋でお前を見かけて、一目惚れしちゃったんだ。『白百合ちゃん』なんて名前を勝手につけて浮かれてさ、たまに街で擦れ違うと、すんげえどきどきしてたんだぜ!馬鹿みたいだろ?」

「そう・・・だったんですの・・・」

野梨子は戸惑いながらも、小さく笑んでみせた。

「こんなに可愛いブーケを頂けて、嬉しいですわ。有難うございます。」

「面と向かって礼を言われると照れるじゃん!もっとさ、軽ーく返してくれよ!」

明良は、はは、と乾いた声で笑ってから、視線を野梨子に戻した。

「俺さ、白百合ちゃんを好きになったお陰で、ガードレールにぶつかった、あの瞬間まで、幸せな気分でいられたんだ。工事現場できついバイトしてたときも、白百合ちゃんに何をプレゼントしようかって考えるだけで、ウキウキした。俺に、幸せな日々をくれたのは、白百合ちゃん、あんたなんだ。だから、礼を言うのは、こっちのほうだ。」

明良はそう言うと、深々と頭を下げた。

「白百合ちゃん、俺に、幸せをくれて―― 有難う。」

そして、今度は四人をぐるりと見回した。

「お前らも、見ず知らずの俺に協力してくれて、有難う。俺、すげえ嬉しかった。できることなら、生きているうちに、お前らと出会って、一緒に馬鹿騒ぎしたかったな。」

可憐が口元を押さえて、泣きじゃくりはじめた。震える肩に、そっと野梨子が寄り添う。その野梨子の瞳にも、大粒の涙が光っていた。

 

「本当に、本当に―― 有難う。」

 

明良は、深々と頭を下げて、微笑んだ。

その笑顔に、迷いや、未練は、一切なかった。

 

「あの世に行っても、元気でな。」

魅録が肩を叩く。

「僕たちのこと、いつまでも忘れないでね。」

美童が握手を求める。

「神さまの前で、馬鹿やるんじゃないわよ。」

可憐が泣きながら冗談を言う。

「皆で、お墓参りに行きますから、寂しがらないでくださいね。」

野梨子がブーケを抱え、涙を堪えて微笑む。

 

そして―― 

 

 

明良は、ゆっくりと視線を巡らし、清四郎と向き合った。

 

 

 

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