きらきらひかる 

  BY ルーン様 

6:和子

 

街はすっかり、クリスマスムード一色だ。

 

今日は仕事が休みだから、と思って街に出たけれど、面白いことなんかありゃしない。

 

周囲にはべたべたべたべたしたカップルが溢れていて、本当に腹立たしい。

店頭から聞こえてくるクリスマス・ソングにも、悪態を吐きたくなってきた。

 

 

ち、と舌打ちして目を上げると、横断歩道の所に、弟のお嫁さん、悠理ちゃんが見えた。

 

悠理ちゃん、だと思うんだけれど、間違いだったかな?

仕事が忙しくてほとんど最近会っていないけど、顔は、悠理ちゃんだった。

でも、表情が。

 

本当に悠理ちゃん本人なのか、と疑いたくなる位、様変わりしていた。

 

「悠理ちゃん?悠理ちゃんよね?」

 

そう声を掛けながら走り寄って行くと、悠理ちゃんは顔を上げた。

 

「ああ、和子姉ちゃん」

 

もともとすらっとした子だったけど、今はがりがりに痩せている。

弟との生活がうまくいってないのじゃないかと、心配になった。

 

 

「ね、今ひとりなの?暇なら一緒にケーキ食べに行かない?タルトが絶品の店、知ってんのよ」

 

悠理ちゃんはしばらく宙を眺めてから、うん、と頷いた。

 

その様子が、痛々しくて。

あのバカ弟が原因なら許さない、と思った。

 

 

休日にも関わらず、タルトが絶品の店−タタン−はすいていた。

もともと、目立たないところにひっそりとある店だ。

知る人ぞ知る、名店。

音楽も内装もひそやかで慎ましい感じが、気に入っていた。

 

 

 

「私はかぼちゃのタルトとホットコーヒー。悠理ちゃんはどうする?」

 

悠理ちゃんは俯いたまま、返事をしない。

 

「今日は私のおごりよ。好きなだけ、食べて」

 

「…」

 

「待って、訂正。悠理ちゃんが好きなだけ食べたら、私、破産するかも知れないわね」

 

私がおどけて両手を挙げると、悠理ちゃんは見ていたメニュウをパタンと閉じた。

決まったか、とホッとしていると、彼女は真顔で言った。

 

「あたしはいーよ。ほんとに和子姉ちゃん、破産させちゃうかも」

 

にこりともせずに言う。

 

「や、やーね。冗談よ。本当に美味しーんだから、ここのタルト。食べなきゃ損よ」

焦ってしまった。

 

「いや、あたし最近変なんだ。いったん食べだすと、吐くまで止まらないんだよ」

 

彼女は至極真面目な顔で、スタンドにメニュウを戻した。

私は確信した。

義妹は心を病んでいる。しかもその原因は、根深い。

どうして気付いてあげられなかったんだろう?

 

「悠理ちゃん、話したいことあったら、私なんでも聞くわよ」

 

俯いていた彼女が、こちらを向いた。

 

「ずっと、迷っていたんだ」

 

「何を?」

 

義妹の瞳が、不安げに揺れる。

 

「こんなこと聞いて、怒らない?」

 

「悠理ちゃんが何言っても、私怒らないわよ」

悠理ちゃんのことは、ね。あのバカ弟が原因なら、ふんじばって、殴りつけてやる。

「それどころか、協力できることはなんでもするわよ」

 

そう言った途端、彼女の顔がぱぁぁ、と輝いた。

何だろう?私に何かできること?

 

「本当?」

「ええ」

 

 

 

 

 

 

 

 

寒い、寒い、寒い。

立ち止まり、マフラーを巻きなおした。

先ほどの会話を思い出す。

 

 

「さっき、産婦人科医に相談してその先生に怒られたんだけどさ」

 

と、悠理ちゃんは話し始めた。

 

内容は、驚くべきものだった。

つまり。

 

清四郎と、魅録くんの精子を混ぜて、悠理ちゃんの卵子に人工授精できないか、と。

そうすれば、皆の子になって皆で可愛がれるし、清四郎も嫌じゃないと思うんだ、と言った。

 

「皆?嫌ってどういうこと?清四郎は悠理ちゃんの夫じゃない?魅録くんと、どんな関係があるっていうの?」

なるべく、詰問しているように聞こえないよう、苦労した。

 

でも、聞きながら、ばらばらだったパズルのピースが繋がるように、すべての疑問が解けていった。

 

彼らが大学生の時、魅録くんがよく家に遊びに来ていた。

あのときの、異様な雰囲気(に、感じたもの)。

すべて、ああ、そうだったのか、と合点した。

 

待って。

じゃあ、じゃあ悠理ちゃんは?

人工授精って?

どうして、こんなに悲しそうなの?

清四郎は、まさか、まさか―。

 

 

「悠理ちゃん、清四郎と、セックスしてないの?」

セックス、という単語に、彼女の身体がびくんと跳ねた。

 

「悠理ちゃん?」

彼女に、さらに問いかけた。これだけは、聞いておかなくてはいけない、と思った。

 

 

「出来るわけ、ないよ」

 

意味が分からない。

夫婦間の、当然の権利でしょう?それは。

悠理ちゃんは、テーブルの下で何度も手を組みなおしていた。

 

「清四郎に、これ以上迷惑かけたくないよ。嫌われたく、ないんだ」

 

 

 

 

 

そこまで思い出して、今度は身体がカッカと火照ってきた。

憤死しそうだった。

 

 

 

それでも、足を速めた。

剣菱の本社ビルに今すぐ飛んで行きたい。

あのバカは、今も涼しい顔をして仕事をしているだろう。

今聞いたことを、一刻も早く伝えなくてはいけない。

 

 

 

 

7:魅録

 

タバコの煙が、ゆっくりと天井に向かって上っていく。

 

ここは剣菱の本社ビル、会長代理室で、俺は清四郎を待っている。

 

予想外に仕事が早く済み、出張先から帰れそうなので会おう、と今日の昼に電話があった。

 

こんな関係は、終わりにしなければいけない。

分かっているのに、いそいそと清四郎を待ってしまう自分がいる。

 

時計を見ると、6時。

6時半には本社に帰れるって言ってたっけな。

 

 

ずっと、清四郎を好きだった訳じゃない。

むしろ嫉妬していた。

彼の完璧さが、妬ましかった。

それでも、それは羨望の入り混じった、複雑な感情だった。

 

 

大学2年のとき、バイク事故をした。

居眠り運転のダンプが、反対車線を走り、俺の乗っていたバイクごと正面衝突をしたのだ。

 

助かったのが、奇跡だと言われた。

でもそんな奇跡、俺はありがたくもなんともなかった。

そんなもん、くそくらえ、と思った。今でもそう思っている。

右半身が、麻痺したまま、一生そのままかも知れない、と宣告を受けたとき、俺の中の世界は大きく反転した。

プロのレーサーを目指し、ずっと練習を続けていたのに。

すべて、崩れていった。

 

 

死ぬほどリハビリをして、なんとか日常生活が送れるほどには回復した。

運転も、車ならできるようになった。

 

それでも、俺は絶望した。

 

自分の中ですべてが崩れたとき、目の前にいたのは、学生のときから憎らしいほど完璧な、親友だった。

 

完璧な彼を手に入れることで、失った何かを、取り戻せるような気がしたのだ。

 

清四郎は、戸惑いながらも、俺を受け入れてくれた。

 

 

 

今、警視庁で働いている。

昔から、スリルのあることが大好きだった。

高校のときの馬鹿ふざけを思い出す。

犯罪者を追い詰めるのは、確かにスリリングだが、バイクの恐怖とスリルは、もう一生味わうことができない。それなのに、あの恍惚とした状態は、覚えている。理不尽な話だ、と思う。

あの状態は、そうだ。

 

 

清四郎とのセックスに似ている。

張り詰めたぎりぎりのところに、立っているようなあの感じは。

 

 

俺は、彼のおかげで、今も生きている。

 

 

 

 

ダンダン!!

 

荒々しいノックの音が聞こえた。

 

誰だ?

強盗か、とも思えるほど、激しかった。

 

「返事ぐらいしなさいよ、バカっ!入るわよ!?」

 

この声は…和子さんか?

 

バン!!

戸が開いて、そこに立っていたのは、やはり和子さんだった。

 

 

「魅録くん!?」

 

「はぁ」

 

あまりの剣幕と登場の仕方に、くわえていたタバコを落としそうになってしまった。

和子さんはぜぇぜぇと肩で息をし、首に巻いていたであろう黒いマフラーは左側が極端に短い状態でだらりとぶらさがっている。

 

「清四郎は?どこなの?」

 

なんだ?清四郎に怒ってんのか?

 

「隠しても無駄よ。いるんでしょ」

 

俺は慌てて両手を胸の前で振った。

 

「ほ、ほんとにいねぇよ。出張中なんだから」

 

「へぇ、じゃあなんで魅録くんがこんな所にいるのよ」

 

和子さんの剣幕から、清四郎が今日帰ってくることを知らせてはまずい、とは思ったが、すごい眼で睨まれ、つい本当のことをしゃべってしまった。

「そ、それは…今日6時半に帰ってくるから久しぶりに飲みに行く約束なんだよ」

久しぶりに、というのと、飲みにいく、というのは嘘だが。

 

和子さんはため息を吐き、自分の腕時計を見た。マフラーをはずし、机の前のソファ ―俺は机の上に腰掛けていたから、ちょうど俺の真正面― に腰を下ろす。

「今65分、か。ちょうどいいわ。魅録くんに聞いて欲しいことがあるの」

「なんだよ」

 

 

和子さんは、清四郎とそっくりの、きりっとした顔を上げて、はっきり言った。

 

「もう、清四郎と寝ないで」

 

モウ、セイシロウト ネナイデ。

 

どうしてバレたんだろう、という思いと、なんで今更、という思いが、頭の中でぐちゃぐちゃになる。

いや、和子さんの様子だと、知ってすぐ、怒鳴り込みに来たという感じだ。

今日、知ったのだろうか。

だとしたら、誰が言った?

 

「今日、悠理ちゃんに偶然会ったの」

俺の疑問を見透かすように、和子さんが言う。

 

「顔は悠理ちゃんなんだけどね。なんていうか、別人みたいな表情になってて。一瞬、あ、間違ったかな、って思うほどだったわ」

 

 

最近、悠理には会っていない。

清四郎から、よろしく伝えてと言われたと、何回か聞かされた。

なんておかしな関係だろう。

おかしな、俺の親友。

いや、本当に一番おかしいのは俺だ。

 

3年前の結婚式の日も、悠理の顔がまともに見れなかった。

清四郎はその式当日の明け方まで、俺と同じベッドにいたのだから。

 

どうして、こうなったんだろう?

悠理ほど気の合うやつは、世界中探したってあいつだけなのに。

清四郎だって、悠理の代わりにはなれない。

バイクの話、ロックの話、話し始めたら夜中じゅうだって話していられた。楽しくて止まらなかった。

 

そんな彼女との関係を、俺が壊した。

清四郎に、彼女を裏切らせたのは俺だ。

 

 

「どう、変わってたんだ…」

声が震えた。

 

「すっかりやつれて、青い顔してふらふら横断歩道歩いてた。だから私、声掛けて、なんでも相談に乗る、って言ったの」

 

和子さんは、いったんそこで息を吐いた。

 

「魅録くん、清四郎を訪ねてうちによく来ていたのは知ってるわ。多分、あの頃から付き合っていたんでしょ?」

 

「ああ」

 

「だから、あなたたちの気持ちも分かる。付き合い始めたのは清四郎が悠理ちゃんと結婚する前だったんだもの。剣菱が傾いて、それを助けるために清四郎が悠理ちゃんと結婚した。あなたたちの友情はすごいと思うわ。悠理ちゃんもそれがよく分かっているから、これ以上あなたたちに迷惑かけたくない、って言うの」

 

「迷惑、って…」

悪いのは、悠理、お前じゃないのに。

本当に悠理のためを思ってたなら、俺たちはもう、セックスすべきじゃなかった。

 

「そう、あなたたちに悪いことをしてしまった、って彼女は思っているのよ。でも、一緒に暮らすうち、彼女は清四郎に恋をしてしまったみたい。そりゃそうよね、自分と実家のピンチを救ってくれて、しかも優しい男(ま、あたしにはあんな自慢たらしい男なにがいいのか分からないけど、あくまで悠理ちゃん曰く)が、毎日自分の前うろちょろしてんのよ。でも、清四郎を好きだ、って思うたびに、魅録が可哀想だって言って泣くの」

 

口にくわえていたタバコが、毛足の長いじゅうたんに落ちた。

 

 

悠理、ごめん。

俺、お前のこと、お前が俺のこと考えてくれてた十分の一も考えてなかった。

 

 

「悠理ちゃんね、今ノイローゼだわ。…豊作さんの奥さんが不妊症らしくて。剣菱のおじさまもおばさまも、悠理ちゃんに毎日、子供はまだか、って聞くらしいの。それで…言いにくいんだけど。悠理ちゃんが私に相談してきた、内容がね。」

 

和子さんはここで言葉を切り、気遣うように、じっと俺の顔を見た。

 

「その…魅録くんと清四郎の精子を混ぜて、それを悠理ちゃんの卵子と人工授精できないかって。そうすればだれも傷つかないし、皆で可愛がれる、って…」

 

 

たまらず、俺は立ち上がった。

清四郎が、悠理を抱いていないのは知っていた。

でも、こんな状態だったなんて聞いてない。

分かっている。

俺に怒る権利はない。

だけど、何故清四郎は悠理がこんな状態になるまで放っておいたんだ?

どうしようもなく腹が立った。自分にも、清四郎にも。

 

「和子さん…」

 

「え?」

 

「清四郎には、俺が話す。悠理を、このままにはしないから。しばらく、待ってくれないか」

きっぱりと、言った。

 

「…ばらく、て」

 

「え?」

 

「しばらくって、どのくらいよっ?このオタンコナス!もう一時だって、悠理ちゃんをあんな状態にしておけないのよ!私はっ!」

 

和子さんは、ソファから立ち上がった勢いで、俺の前に踏み出し、持っていたハンドバッグを振り下ろした。

 

あ、やばい、と思ったときには、顔に、バン!という衝撃。

 

ハンドバッグの中の、口紅が床に落ちた。

 

「もう二度と清四郎と寝るなっつってんのよ!いいこと?清四郎にはこんなもんじゃ済まないから、って言っといて!」

 

和子さんはそういうと、ふん、と鼻息を出した。

 

「魅録くんがそういうなら、今日は帰るわ!悠理ちゃんの顔見に行ってみなさい。そんな悠長なこと言ってらんないんだから!」

 

バタン!というドアの音と共に、和子さんは去っていった。

 

 

 

悠理の、顔。

 

痛む左頬を押さえ、俺はただ、立ち尽くしていた。

 

これは、罰だと思った。

もっと早くに考えなければならないことを、怠ってきたのだから。

 

今日は、清四郎に会えそうにない。

俺は清四郎の机にあったメモパッドに手を伸ばし、でも、しばらく考えて止めた。

なんて書き残せばいいっていうんだ。

文章が、思い浮かばない。

 

 

とりあえず、俺は部屋を出た。

  

 

 

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